大手商社からの「優先搭乗」要請を毅然と拒否

6月7日、北京首都国際空港――。

「北京内戦か」のニュースを受け、北京脱出を急ぐ在留邦人は空港を目指した。同日午前に日本人が多く住む建国門外で起こった戒厳部隊による無差別乱射事件で恐怖は増した。この日、日本大使館によるバス輸送も本格化し、空港はものすごい人であふれ大混乱した。

ANA支店のある北京飯店にいた尾坂雅康のもとには、大手商社の総代表から電話があった。「自社の社員と家族をANAに優先搭乗させてくれないか」。こう求められた尾坂は、空港では航空券を求める邦人の長い列ができており、「先着順でお願いします」と答えた。「支店長を出せ」と立腹されたが、支店長につなげば、受けざるを得なくなると思い、断った。手記にこう記している。

「生命の危機に瀕した日本人に会社や肩書でランクをつけることはできなかった」

7日午後、戒厳軍の包囲を突破して何とか北京飯店を脱出し、混乱を極める北京空港に着いた尾坂にとっての難題は発券問題だった。前述したようにANA便の搭乗予約はできるが、発券に関しては中国民航のカウンターで行う必要がある。体一つで命からがら空港に着いた多くの邦人は航空券を持っていない。

当初、中国民航から預かった100枚ほどの航空券を使って発券していたが、瞬く間になくなった。そのうち中国民航の空港発券カウンターの担当者も消えてしまい、航空券自体が手に入らない。JALは航空券を持っている邦人を優先しているため、航空券を持たない邦人はANAに行列をつくった。

ルールを犯しワープロで「疑似航空券」を作成

その時、整備のスタッフがアイデアを出した。

「ワープロで擬似航空券を発券すればどうでしょう」

尾坂は即座にOKし、支店から持ち込んだワープロで「擬似航空券」を印刷した。個人だけでなく、企業でのまとまった申し込みも多く、団体航空券も発券した。金額は、中国建ての片道運賃(1390元)を日本円に換算した運賃で、きりのいい8万円と決めた。尾坂は手記にこう書いた。

写真=iStock.com/yanggiri
※写真はイメージです

「エイヤの算出だが今は非常時、日本に帰ることが最優先である。(擬似航空券は)ルール違反ではないか、本社は認めない、誰が責任をとるのかと厳しい指摘もあった。必死の表情で救いを求めるお客様を前に迷いは消え『責任なら尾坂がとります』と応えてハンドリングを続行する」

「ここは戦場という認識だった。一瞬の判断が生死を分ける」