素の自分を出せない苦しみ
母親は、B君の小学校時代の友人関係と、その後の動向を私に問われ、あっと声をあげた。
彼の親しい友、つまり小学校時代によく家庭で話題として出てきた友人全員が、私立に通っていることに気づいたのだ。正確には、気づいてはいたが、その意味の重大さを初めて知った。息子の不登校は、新たな環境のなかで友人関係の構築(そもそも可能性すらなかったかもしれない)に失敗したからだ。彼女はそれがわかると押し黙ってしまった。
現在、不登校生徒に対しては学校側も無理に登校を勧めない。ステップスクールも数多く存在する。何より、うつ病から自殺のコースをたどるほうがずっと恐ろしいからだ。B君の両親もその指針に合わせ、無理に学校に行く必要はない、学校になじめなくて立派になった人も多い、エジソンは学校に行っていないし、スティーブ・ジョブズもいじめが原因で中学を転校した、気に病むな、といった類の声かけを本人に盛んに行っていたそうだ。
しかし、これは的外れである。B君にジョブズのようになりたいという気持ちは欠片もない。
そもそもジョブズはその異能を学校でいかんなく発揮し、いじめの対象になった。B君に異能があるかどうかはさておき、彼にとっては素の自分を隠し続けなければならなかったことが苦境の原因だったのだ。
私立進学させられる経済力があったのに…
公立中学進学が必然の教育コースで、繊細で内向的なB君の人生において避けることができない道ならば仕方がない。しかし弟は私立に行くという。ならば、B君が、自身の公立中学進学は必然ではない、避けられた道だったのではないかと考えてもおかしくない。
親が、弟の私立中学進学を決めたのは、B君が公立中学で不登校になったからだ。兄と同じような状態を避けるため、親には必然の選択だったのかもしれない。が、このまま弟が私立に入学すれば、B君にしてみれば、いったい自分の公立中学進学は何だったのだということになる。弟の実験台かつ踏み台となって、公立中学に進学し、そこで多難な人間関係の渦に巻き込まれたのだ。母親によれば、中学生活を全うできなかったB君には通信制高校に通わせる予定だという。
一般の高校に入学できないのは、B君も自分にも責任があると処理しようとするだろう。しかし、気持ちの半分が決着しないまま、弟が毎日楽しく学校に行く姿を見れば、B君はどう思うだろう。この子の行く末は大丈夫だろうか。親が心配すべきはまずそこである。