「死ぬ前には戻りたい」元自民党議員のふるさと

一方で山東氏はこうも語った。「ゴールデンウィーク明けから、本格化する東京都議選もございます。やはり、港区、千代田区、新宿区という激戦区もある。そうした地元の議員たちにも、復党は非常に大きなインパクトを与えることになる。ぜひ、お力を貸して頂きたい」。審査基準を厳格適用するよりも、港区など衆院1区を地盤とした与謝野氏に近い関係者からの選挙支援を優先させることを露骨に語っている。与謝野氏本人に死期が迫っていたことも大きかった。復党の決定は、療養中で意識がない本人に直接伝えることはできず、党本部から秘書に連絡。同年5月21日、肺炎で死去した。

自民党関係者はこう語った。「自民党にいたことがある人にとっては、最後は戻りたい。自民党はふるさとなんだろう」。野中氏、綿貫氏、与謝野氏。自民党政権で、幹事長や衆院議長、数々の閣僚を務め、世間では十分な功績が認められている。それでも、強者が集う自民党で最後を迎えることこそが自らの強さの証明であり、政治家としての誇りの回復、という意味があるのだろうか。

自民公認で出馬する旧民主党議員たち

22年夏の参院選でも、かつて民主党議員だった複数の政治家が自民党公認を得た。野党議員だった政治家自らが自民党に接近し、自民党側も強者を求めるように吸い寄せていく。典型は、改選数1の宮城選挙区の桜井充氏である。世論調査で優勢な方を自民候補に決める手法は、まさに「強者をのみ込むブラックホール」である自民党の「らしさ」がつまっていた。

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桜井氏は1998年参院選に民主党公認で出馬し、42歳で初当選。当時の宮城選挙区の改選数は2だった。続く04年、10年は自民、民主両党で分け合う形で当選を重ねた。

転機は4選をめざした16年。定数是正を受けて改選数は1に減り、再選を狙う自民現職と民進党の桜井氏が現職同士でぶつかり合った。桜井氏は野党がバラバラでは勝ち目がないと判断し、全国に先駆けて同年の3月には野党共闘態勢を確立。共産党の演説会にも登壇した。選挙戦では「野党統一候補として、共闘で戦う」「相手陣営から(野合と)責められているが、組んで何が悪い」と強調し、「憲法9条の改正は絶対に反対だ」「アベノミクスの恩恵は宮城には来ない」「安倍政権を引きずり下ろすため、絶対に勝たなければいけない」と自民批判を繰り返した。自民現職との激戦を制して、桜井氏は4選を果たした。

当選後の桜井氏は、安倍首相を直撃した加計学園問題を追及してきたが、19年9月、国民民主党に離党届を提出。無所属のまま、立憲民主や国民民主でつくる参院の野党統一会派に所属していた。ところが20年5月には「新型コロナ対策一つとっても与党にいかないと仕事が出来ない」として参院の自民会派に入った。