何事にも興味がないA君

金曜日の夕刻、作文指導はスタートした。

まずはテーマ選びだが、話をしてみると、彼の生活には全く起伏がなかった。学校生活もままならず、ゲームをやってぼんやり1日を過ごす。部活にも入らず、特別な趣味もない。端的に言えば、A君には関心を寄せる何事もなかった。

彼は大人と2人きりでいることに対し、あからさまにプレッシャーを感じていた。おどおどしている姿から、作文のテーマが存在しないことに対して私が怒り出すのではないかという不安さえ抱いていると危惧された。

そこで、まずは三原則を掲げた。決してキレない、怒らない、叱らない。そのことをA君に告げ、さらに普段早口の私はゆっくり語りかけることを心がけた。A君は少し安堵したようだったが、それで関心のあるテーマが浮上するわけではない。彼はただひたすら考え、やがてそれは明らかに考えるふりへと移行していった。虚しい時間である。

欠落していたのは家族との心豊かな経験

テーマは何でもいい。学校が求めているのは「10枚の作文」という形である。押し黙ったままのA君に対し、私は一緒に10歳からの年表を作ることを提案した。彼にとって心に残る出来事を、時間を追って思い出してもらうための苦肉の策である。

実際に10歳の春、夏、秋……とたどったところ、驚くほど動きのない生活に直面した。そこに欠落していたのは、その年齢の子供ならば持っているであろう、友人や家族と共にある心豊かな体験だった。A君は他人との関係を結ぶことが苦手で、かつ、親側の問題として、悪意のない、ある種のネグレクトにさらされ続けてきたのではないかという疑念まで抱いた。

それでも何かはあるはずだ。問いかける私に、彼が心に残るたった一つの楽しい出来事として挙げたのは、小学校6年生の夏の東京ドームでの野球観戦だった。

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A君は父親と2人でドームに赴き、そこで当時、読売巨人軍に所属していた松井秀喜のホームランを目撃していた。その頃は、小学生でまだ不登校が顕在化することもなかったが、普段あまりコミュニケーションのなかった父親と一緒に松井のホームランに喝采したあの日のことは、今も心に残っているという。彼にとって松井のホームランは、起伏のない生活のなかで極めて稀な、心が躍る瞬間だったのだろう。

テーマは野球でいいだろう。だが、それでは探究にならない。野球というワードではまだ抽象度が高く、探究の的としては絞り切れていない。