ロック音楽に課せられたタスクは「お花畑を語ること」

想起するのは、もちろんジョン・レノンの「イマジン」(71年)だ。「♪You may say I’m a dreamer」。今風に訳すと「お花畑だと思っているでしょう?」。「お花畑」は、楽観主義的な考え方を茶化すネットスラング。「日韓関係に希望の苗を植えていこうよ」という発言に対して「お前、脳内お花畑だな」と返す感じ。

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でも、ここであらためて言いたいのは、もし「世界ロック音楽憲法」というものがあるなら、その何条目かに「臆せず、お花畑を語ること」という条文があるのではないか、ということだ。

もちろん、その憲法において、「お花畑を語ること」よりも「何よりもまず、現実的であること」という条文が優先されるべきなのは承知している。ただ、その条文が尊重されすぎた結果、もしくは羞恥心や忖度そんたくが行き届き過ぎた結果として、音楽家が誰も、夢や理想を語らなくなってきている今、「お花畑を語ること」も、ロック音楽に課せられる重要なタスクになっていると考えるのだ。

石井裕也という映画監督がいる。私は映画ではなく、TBSのテレビドラマ『おかしの家』(15年)という彼の作品を気に入ったのだが、「映画で伝えたいこと」をインタビューで聞かれて、彼はこう答えている。

優しさ、愛、夢、希望とか、つまり言葉にすると目を背けたくなるくらいうそくさいことです。(『エコノミスト』16年4月26日号

「うそくさいこと」──つまりは、この不透明で不安定で、みんなが現実性の中に絡め取られようとしている時代に対しての「お花畑」。

ジョン・レノンのスピリットは桑田佳祐に受け継がれた

ジョン・レノン好きの桑田佳祐のこと、「ピースとハイライト」を作るにあたって、「イマジン」をかなり意識したはずだ。その結果として、「♪You may say I’m a dreamer」に対して、「♪絵空事かな? お伽噺かな?」を置いた。

「イマジン」は評価が分かれる曲である。メッセージは理解したとしても、アレンジが甘すぎるとも思う(フィル・スペクターのオーバー・プロデュース)。少なくともジョン・レノンの最高傑作とは言い難い。

それでも「お花畑を語ること」という条文を、71年という早い段階で、しっかり具現化したことについては、いくら評価しても評価し過ぎることはないだろう。「イマジン」のスピリットは、忌野清志郎を経て、桑田佳祐に受け継がれた。