ボイラーの比喩を引用したチャーチルは、じつに的確だった。グレイの時代にいったんついた火は大戦争に勝利した後に消えてしまっており、巨大なボイラーに再び火がつくまでには四分の一世紀を要した。それも、1917年よりはるかに深刻な危機の中で、である。

ウィルソンよりもずっと慎重に手段を目的に合わせなければならなかったルーズベルトには、時間が必要だった。その間、チャーチルにできるのは待つことだけである。イギリスは68カ月にわたり戦争を戦ううち、27カ月間、壮絶に待ち続けた。

ルーズベルト大統領が参戦を決めた理由

ルーズベルトは三つのことを待っていた。

第一は、特定の同盟国に限定的な援助を行ないつつ、国民には参戦しないと希望を抱かせながら(ただし約束はしない)、自国の景気回復にもつながる軍備増強を完了させること。

第二は、ソ連が壊滅せず、小さな周縁国であるドイツと日本がもたらした大きな脅威にはさまれながらも、大陸国家として連合国側につくこと。独ソ不可侵条約を過信するというスターリンの愚かな選択のせいで、もはやソ連には他の選択肢は残っていない。ソ連は、英米の民主主義を救うために必要な戦いの多くを引き受けることになるだろう。

そして第三は、新たなサムター要塞ようさいである。あの要塞を南軍が攻撃したことが南北戦争の火ぶたを切ったように、アメリカ自体が攻撃されたという誰もが心情的に納得できる理由が必要だった。それがあれば、平和主義を唱える世論は一気に沈黙するだろう。

最終的に、ルーズベルトには二つの理由が与えられた。日本軍による真珠湾攻撃と、その4日後のドイツによる対米宣戦布告である。その後の4年間、民主主義と資本主義を救ったのは、他の誰にもましてルーズベルトだった。

ジョン・ルイス・ギャディス(著)、村井章子(訳)『大戦略論 戦争と外交のコモンセンス』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

あらゆるところで、あらゆる面で救ったとは言わない。だが、20世紀の前半で後退した民主主義と資本主義が後半で巻き返すには十分な程度に、この二つを安定させたと言ってよい。彼は二正面で戦いながら、ほとんど同時に勝利を収め、しかもアメリカ人の死者数を全死者数の2%足らずに抑えている。

おかげでアメリカは、世界の工業生産能力の半分、金準備の3分の2、資本投資の4分の3、世界最大の海軍と空軍、世界初の原子爆弾を持つ国として君臨することができた。もちろんそのためには、悪魔との取引が必要だった。

戦略は政治と同じで、きれいごとでは済まないのである。だが歴史家のハル・ブランズとパトリック・ポーターが指摘するとおり、「これが成功したグランド・ストラテジーでないなら……そのようなものは存在しないことになる」

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