スターリンにとっての「悪魔の取引」

かくしてスターリンは、1941年6月22日にドイツに侵略されて驚愕きょうがくし、まったく不必要だった多大な犠牲を払うことになった。

いっこうに驚かなかったルーズベルトとチャーチルは、どうみてもイデオロギー的に矛盾することを考え始める。悪魔との取引である。このとき彼らは、ウィルソンとロイド・ジョージがまだましな悪魔だったニコライ2世を1917年3月以降見捨てて後悔したことを思い出していただろう。

ともかくも、当初は衝撃を受けてなす術もなかったスターリンはすぐさま立ち直り、彼自身のイデオロギーから義務と判断したことをする。あたかも独ソ不可侵条約など存在しなかったかのように、彼にとっての悪魔すなわち資本主義経済を奉じる民主国家からの支援を要求したのである。

ルーズベルトは外交上、軍事上の懸念をあえて払いのけ、交渉の名手であるハリー・ホプキンスとW・アヴェレル・ハリマンをモスクワに送り込む。ホプキンスはルーズベルトにとってのハウス大佐役であり、ハリマンは鉄道会社の経営者として1920年代にコーカサス地方でマンガン鉱山事業を運営した経験があった。

一方、元駐ソ大使のデービスは大統領の要請を受け、大車輪で『モスクワへの特使』を書き上げる。1937~38年のソ連を描いた著作で、機密事項はすべて取り除かれていたものの、ベストセラーになった。

さらに複数の情報源を通じてスターリンはドイツに降伏しないと確かめたうえで、ルーズベルトは1941年11月7日にソ連の安全保障はアメリカにとって必要不可欠であると宣言する。

ボリシェビキ革命から24年後、日本の真珠湾攻撃の1カ月前というタイミングだった。この発言にいたるまでに、ほとんど誰も気づかないうちに十分な手を打っていたわけである。

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チャーチル英首相「これでわれわれは戦争に勝った!」

ハワイからのニュースを聞いたチャーチルは、「これでわれわれは戦争に勝った!」と絶叫したという。「ついにアメリカが、その死に至るまで戦争に突入したのだ」と。

「ばかな連中は」アメリカ人があまりに弱腰で議論ばかりし、自国の政治で身動きのとれない「友か敵かさえはっきりしない地平線上の影」でしかないと考えている、とチャーチルは言う。

「だが私は南北戦争をよく調べてみた。あの戦争は最後の最後まで死にものぐるいで戦われた。そのアメリカ人の血は、私の血管にも流れている。30年以上も前に、エドワード・グレイが私に言ったことを思い出す。アメリカは巨大なボイラーだ。いったん火がついたら無尽蔵の馬力を生み出す、と」

だからこそチャーチルは、「その日の夜、興奮と感動で疲れ果てていたが、私は救われた人間、感謝の気持ちに溢れた人間として眠りにつくことができた」のだった。