道は一つしかないと思い込むことで、追い詰められてしまう
もっとも「死にたい」からといって、無差別殺傷に向かう人間は少数派だ。逆に、自殺願望を持つ人は、現実にたくさんいる。
学生団体YouthLINKが企画するボイスシェアリングは、学校へ行きづらいと感じている学生や、休学中の学生が、互いに悩みや生きづらさを語り合う場だ。
生きづらさを抱え自殺未遂を5度も繰り返した過去を持つ現役メンバーの大石怜奈氏は、中学校までは進学校に通っていたが、通信制高校に入ったことで、見える世界が大きく変わったと語る。
それまでは「大学に行かなかったら、なれる職業がないんじゃないかと本気で思っていた」というのだ。レールから外れたことによって、視野が広がったのである。
同じく、高校まで進学校に通っていたものの、大学進学を前に引きこもり経験をした団体OBの石神貴之氏は「社会からのメッセージとして、失敗しては駄目だと受け取ってしまう面はすごくある」と語る。
道は一つしかないと思い込むことで、人は追い詰められてしまうのだろう。
無差別殺傷事件を起こす人間は「自分を苦しめる本当の敵がわかっていない」と語るのは、市原みちえ氏だ。拳銃を使い男性4人を殺害し、「連続射殺魔」として逮捕。その後、獄中で作家となった永山則夫の、最後の面会者となった人物である。
市原氏は、貧困や虐待といった永山の悲惨な生い立ちについて「個人の責任ではなく、社会が生み出した問題」とし、現代社会の若者が起こす事件も同様だと述べる。進学校に通う少年が起こした「東京大学前刺傷事件」では、同じ東大を目指す高校生が標的となった。
学歴社会で闘うしか選択肢がなく、脱落すれば人生が終わると思い込んでいた少年。しかし、本当の敵は、そうした価値観に従わせる社会なのだ、と市原氏は主張した。
永山は、獄に入ったことではじめて安住のすみかを手にし、ベストセラー作家となり、恋愛を謳歌し、結婚もした。しかし、その先に待っていたのは死刑である。事件を起こしてからでは、遅いのだ。
家族間殺人が『サザエさん』のような家で起こる理由
永山は、無差別殺傷を行う前まで家族との信頼関係を持てずにいたが、それは死刑囚に特有のことでもあるらしい。
25年以上にわたって教誨活動を行う、聖イグナチオ協会助任司祭であるハビエル・ガラルダ神父は、これまで6人の死刑囚と接してきた。
家族と縁を切られている彼らは、「家族について話さない」、そして「死についても絶対に話さない」と言う。いつ執行されるかわからないため、四六時中「死」について考えているからだ。
その一方で「元気で、明るくて、あなた方と同じように話す」と言う。もっとも、神父が見てきた死刑囚の中には「死刑になりたくて」事件を起こした人は一人もいない。
彼らは死刑を待つ身ながらも「死にたくない」と思っている。自殺の多い社会においては、「死にたい」一般人より、「生きたい」死刑囚のほうが、心は健康なのかもしれない。
しかし、この健康さは、皮肉にも事件を起こし逮捕され、監獄という安住のすみかで教誨を受け、自分と向き合ったからこそ得られたものなのだろう。
加害者家族をサポートするNPO法人 World Open Heartの理事長である阿部恭子氏は、無差別殺傷犯の犯行動機の一つとして「家族への復讐」を挙げる。家族間での殺人であれば憎む相手が死ぬだけだが、無差別殺傷事件を起こせば、家族は生きていけなくなるからだ。
その理由として、日本には犯罪加害者の家族が連帯責任を問われたうえ、社会的に追い詰められるという特有の背景があると指摘する。そのことが結果的に「家族に対する復讐」としての無差別殺傷事件を引き起こさせているのだとしたら、まさに本末転倒だ。
また、家族間殺人は地方で起きることが多く「大体が本当に『サザエさん』みたいな、ああいう家」と語る。「家族へのこだわり」が強すぎると、離婚という選択肢がないまま、殺しに発展するケースがあるということだ。