これは拙著『国難』の中の文章で、2012年、野党時代に書いたものです。

もしもこの当時から、国家の存亡にかかわるような事態における行政権への時限的委任について国民的な議論をしていれば、コロナ禍における私権制限についても、国民の間で一定の共通理解があったのではないでしょうか。

今に至るまでほとんどこれを議論してこなかったことが、コロナ対策の迷走の一つの背景にあったと思うのです。

このように考えると、「そもそも論」がとても大切だということも共感していただけるのではないでしょうか。与野党を問わず、大きな議論をする必要があるという認識を共有したいものだと思います。

なぜ自民党を離党しないのか

あちこちで自分の考えを述べていると、さまざまな声をいただきます。ネット配信された際に寄せられるコメントにはなるべく目を通すようにしています。

その中で多いのは次の二つでしょうか。

「いっそ新党を作ればいいじゃないか」
「そんなに文句があるのなら自民党を出て行け。足を引っ張るな」

前者には期待を込めて書いてくださる方もいらっしゃるのでしょうが、後者については長い間、寄せられてきた批判です。

私は政治家になってから一貫して「自分が正しいと思うことを自由に述べられなければ、政治家になった意味がない」と考えています。また、自民党は多様な意見により強さを増す──言い換えれば国民の支持を得る──政党だと思っています。

ですから、異論に対して「足を引っ張るな」というのは的外れですし、そのような言説はむしろ「ひいきの引き倒し」になり、自民党を強くすることにはつながらないと思います。

写真=iStock.com/oasis2me
※写真はイメージです

「新党を作れ」という声については、一度党を出た経験があるからこそ、「青い鳥は外にいるわけではない」というのが実感です。少し昔話をさせてください。

自民党を飛び出した29年前の苦い経験

1993年6月、宮澤喜一内閣に不信任案が提出されました。細かい経緯は省きますが、この時、自民党内に賛成に回った議員が多く出ます。私もその一人でした。

この直後に離党して新党を作ったのが小沢一郎氏や武村正義氏です。小沢氏は賛成してから離党、武村氏らは反対したのちに離党して行動を起こしています。

その後、私はしばらく離党はせず自民党に残っていたのですが、直後の総選挙では公認をもらえず無所属で出馬し、トップ当選というありがたい結果をいただきました。

その後、新党に参加することを決意したのは、河野洋平自民党総裁(当時)の下では、憲法改正論議を凍結する、という方針だったことが原因でした。