その結果、少子高齢化に歯止めがかからず、経済も伸び悩み、格差の拡大に多くの人が不満をいだく状況が続いています。そしてコロナ禍によってより事態は深刻になっています。

もちろん急いで手を打つべき政策は多々ありますが、“そもそも”魔法の杖のような政策は存在しないということを直視すべきです。その上で、自公のみならず責任ある政党であれば共有できる問題意識はあるはずで、そこから大きな議論をすることが必要なのです。

「憲法改正」に異論を唱えたワケ

第2次安倍政権下で、憲法9条の改正を優先させる改憲論議が進みかけたことがありました。自衛隊を明記する条項を加える、というものです。

この時、私は異論を唱えました。それまで自民党内で決めていた改憲案とはまったく別の思想によるものだったからです。そして、“そもそも”何のための改憲なのか、がかえってわからなくなってしまう懸念があったからです。

が、当時の私の意見はかなりのご批判を浴びました。「とにかく改憲するのが優先なのだ。お前のそもそも論なんて聞いていたら時間がかかって仕方がない」というところでしょうか。私は、憲法改正は最終目的ではなく手段であると考えているので、こうした考え方には賛成できませんでした。

しかし、コロナ禍で日本が直面した問題もまた、そもそも論を避けてきたツケなのではないでしょうか。コロナ対策のロックダウンに関連して、にわかに「緊急事態条項が必要だ」という議論が提起されましたが、“そもそも”緊急事態条項とは何か、ということを平時から冷静に考えてこないから、何かあった時に的を外した大騒ぎになるのです。

国会議事堂
写真=iStock.com/Free art director
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日本の政治は「そもそも論」を放置してきた

以前、日本国憲法に緊急事態条項がないことについて持論を書いた私の文章を、以下に引用してみます。

「国家とは、国民の自由や権利、言論の自由とか結社の自由、集会の自由、思想・信条の自由、そういうものを絶対に守ってくれる存在であってほしい、あるべきだという点においては多くの人が合意するはずです。
(略)
国家そのものが危機に瀕したときに、その国家なるものを守る目的に限局して国民に義務を課し、国民の権利を制限する。これは当然のことです。国家がなくなってしまえば、個人の自由も権利も守られなくなるでしょう。このような意見に対しては、かならず感情的になって『それは国民を戦争に導く論理だ』、『国家よりも国民が大事だ』と叫ぶ人が現れます。けれども、ここで言っているのは、あくまでも戦争(有事)などの非常事態における対処として、期限を区切ってのことです。こうした条項は、どの国の憲法にも定められているものです。かつて我が国の大日本帝国憲法においては、非常大権を陛下がお持ちでした。ところが、今の日本国にはそのような権限はどこにもありません。日本国憲法にはそうした条文が存在しないのです。これが、一つ目の欠けているものです」