皇室でも使用されたという安産守り「御子守帯」

およそ100年前のパワースポット・ガイドといえる高岡青原『神仏力くらべ』(木下真進堂、1926年)では、水天宮は「江戸第一等の大神」として紹介されている。具体的なご利益としては、梅干しの種を誤飲した子供に水天宮の護符を飲ませたら一緒に出てきた、難病が治癒した、短刀で無理心中を迫られた女性が水天宮のお守りを持っていたために命をとりとめたといった話が流布していたようだ。さらに蛎殻町には東京穀物商品取引所があったため、先物取引などを行う相場師や株屋の崇敬も集めていたという。

蛎殻町周辺地図(永島春暁編『改正東京名所案内』1890年/国立国会図書館デジタルアーカイブより)

しかし、なんといっても水天宮は子授け・安産で知られる。同社ウェブサイトでも、トップページの一番上に登場するのが御子守帯みすずおびである。この帯そのものが水天宮の安産守りだ。参拝時に鳴らす鈴から垂れ下がる「鈴の緒」をもらい受けた妊婦が、それを腹巻きにしたところ安産だったという江戸時代の逸話にちなむ。

この独特の安産守りによって、水天宮は江戸東京屈指のはやり神となった。戌の日に特に多くの参詣客が集まり、境内に「子宝いぬ」が設置されているのは、犬のお産は軽く、多産であることによる。『神仏力くらべ』によれば、皇室でも御子守帯が使用されたという。

“独占企業”がなければ宗教市場は活性化する

水天宮は江戸のはやり神から令和のパワースポットまで、200年にわたって参拝客を集め続けている。ここで注目したいのが、水天宮が置かれる社会経済的環境である。

この点で洞察を与えてくれるのが、R・J・バロー&R・M・マックリアリー『宗教の経済学』(田中健彦訳、2021年/慶應義塾大学出版会)である。同書の議論の前提や分析対象は基本的には欧米キリスト教であるが、現代経済学を駆使したユニークな宗教分析は多くの示唆に富む。

同書によれば、宗教活動と商取引は、いずれも「参加自由で繰り返す行動」が多い点で似ている。そしてその観点からは、神社や寺院といった宗教集団は儀礼や信仰といった「サービスを提供する団体」と見なせる。つまり、寺社は宗教製品を提供する企業であり、参拝客は各々の意思でそれを選択・消費する顧客なのである。

そして、同じ製品やサービスでも人気のあるものやそうでないもの、良いものや悪いものがあり、さらに市場そのものが活発な場合と停滞している場合がある。どのような条件であれば、良い製品とサービスが活発に流通する市場が形成されるのだろうか。

同書によれば、宗教市場では「国教」が重要な要素になるという。経済学の観点からは、国教は「宗教部門における政府主導の独占」であり、それがもたらすのは「質の悪いサービス」や「宗教への参加と信仰レベルの減少」である。なぜなら、国教として公的支援を受けられる宗教は、民衆の需要に必ずしも応える必要はないからだ。そして、国教の庇護下にある聖職者たちはエリート化し、民衆と乖離かいりする傾向にある。

一方、国教のような独占企業がなく、「宗教提供者間での競争」が活発になれば、宗教市場は活性化する。そしてその結果、良い製品やサービスが流通するというのである。