東京・日本橋の水天宮に祀られているのは「悲運の幼帝」として知られる安徳天皇だ。なぜそうした神社が「安産・子授け」で有名になったのか。宗教社会学者の岡本亮輔氏は「水天宮は200年前に有馬家の屋敷神として建てられたが、活発な江戸東京の宗教市場に巻き込まれることで人気を集める“はやり神”になった」という――。
水天宮
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水天宮

江戸東京の人々が200年愛する「水天宮」

日本橋蛎殻町は、作家の谷崎潤一郎が少年時代を過ごした場所だ。この界隈を舞台にした小説「少年」は出世作となる。そして、この街のシンボルが水天宮である。

1911年に刊行された児玉花外『東京印象記』には、当時の水天宮の雰囲気が活写されている。白木造りの建物を中心とした境内にはチリ1つなく、清潔感が行き渡る。粋で艶めいた男女を集めるいかにも東京らしい神社であるという。

こうした雰囲気は、鎮座200年を機に全体が免震化された現在の境内にも引き継がれている。そして水天宮といえば、子宝や安産の祈願だ。縁起の良い「いぬの日」ともなれば、多くの参拝客がつめかける。ここでは宗教市場という観点から、水天宮の流行の背景を探ってみよう。

江戸時代、各地の大名家は参勤交代を課され、本国と江戸の双方で暮らした。そのため、各藩は江戸にも屋敷を構え、それにともない各地の神仏が江戸に集まった。水天宮も、そうした遠国出身の神である。