19世紀のイギリスは都市によって時間がバラバラだった

グリニッジ標準時は、グリニッジ子午線の時間だ。この王室特別区に1675年に創立した王立天文台の建物を南北に通る線である。これはグリニッジの現地時間だ。それは、グリニッジ天文台より177キロほど西にあるブリストルの時間ではない。太陽に準じたブリストルの地方時は、グリニッジよりも10分遅い。1675年は、どちらの町もそれぞれの地方時で動いていた。

だが今日ではブリストルは、イギリスのその他の地方と同様に、グリニッジ時に合わせている。19世紀に世界の人びとが時間を標準化することにしたためである。

標準時は市や地域や国や大陸にいるすべての人びとが、自分たちの時計を、グリニッジなどの一つの場所の時間に合わせることに同意する制度で、それが標準となる。その場所よりも東または西に位置するところはどこでも、太陽に即した本当の時間――地方時――が標準時とは異なるが、ひとえに道徳と善悪の行動原理にもとづく理由ゆえに、そんなことは問題ではないと人びとは決断したのだ。

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時刻の標準化は鉄道の建設によって成されたのか

イギリスでは時間がどのように標準化されたかについて語られる際には、誰もがかならず鉄道の建設について言及する。旅客用の鉄道が1830年代から40年代に最初に建設されたとき、鉄道の全線にわたって時間を標準化する必要がすぐに明らかになった。さもなければ、ブリストルとロンドン間を走るグレートウェスタン鉄道のような東西の路線を、どうやって運行できるだろうか?

駅を通過するたびに、時計を合わせなければならなくなる。乗客が理解可能な時刻表を必要とし、鉄道網の安全が単線を共有する列車を区別するために時間に頼っていたとなれば、誰もが合意する一つの時間の尺度というものは便利であるだけなく、命にかかわる問題でもあったのだ。

そのため、グレートウェスタン鉄道沿いの各駅の地方時は廃止されて、1840年にロンドン時間を選んだ鉄道独自の時間に取って代わられた。そして、ロンドンで正しい時間を知る唯一の方法は、それをグリニッジから得ることなのだった。

これはまた、鉄道沿いに(文字どおり)建設された別の新しいネットワークのおかげで可能になった。つまり電信である。電信はモールス信号のトン・ツーでメッセージを送っただけでなく、時報も瞬時に送ることができた。世界各地の沿岸に築かれた時報設備は、近くの天文台からの電気信号によって調整され、測位用のクロノメーターの時間を合わせるのに一役買ってきた。同じ原理が、鉄道の発達と繁栄にも役立ったのである。

グリニッジのたった1台の時計が、電信線沿いに自動で送られた電気インパルスを使って何百キロも先まで午前10時の瞬間を告げることができたのだ。同じ電気の時報は路線沿いのすべての主要な駅で受信することができたし、各地の運用しだいで時間は支線網のずっと先までも伝えることも可能だった。

各駅の時計は、グリニッジ時に合わされ、移動中もすべての鉄道員のポケットのなかで懐中時計がグリニッジ時を告げていたのだ。中央にあるその1台の標準時計で、全鉄道網を時間どおりに運行しつづけることができるようになり、1850年代には、イギリスのすべての鉄道が同じ慣行を採用していた。