「1点返したくらいで喜ぶな!」と叫ぶ母親

その後、スポーツの育成現場の課題に注目して取材し始めると、既視感満載だった。サッカー、野球にミニバスケット。私のようにずっと大声で指示している人はもちろんのこと、罵声、怒号は指導者以上だった。

試合で活躍できなかったわが子を木陰で小突く父親、サッカーで大量失点をした後に1点返し歓喜する子どもたちに「1点返したくらいで喜ぶな!」と叫ぶ母親も見た。シュートを外すと、応援に来ている親のほうを見る子。ミスをすると、必ずこける子もいた。

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指導者は「親の反応が怖い。叱られたくないんです。言い訳したい心理からわざとこけるのでしょう」と答えた。スポーツは恐ろしい――そう思った。その人がどうやって育てられたかはもちろんのこと、親子のありようまで引きずり出してしまう。息子は私の前で萎縮していたし、2歳下の娘にピアノとバイオリンはどちらを習いたいかを尋ねると「ママが習わせたいほうでいいよ」と言われた。自分が毒親かもしれないと背筋が凍った。

毒親(toxic parents)は、米国のセラピストであるスーザン・フォワードが作った言葉だ。彼女の著書『毒になる親 一生苦しむ子供』は1999年に和訳・出版されベストセラーになった。スーザンによれば「子どもの人生を支配し子どもに害悪を及ぼす親」とされ、日本では2000年代に浸透し始めた。自分のなかの毒を意識した私は、受験にまつわる毒親の話を雑誌『AERA』に幾度となく寄稿。親から抑圧されまつ毛をすべて抜いてしまった小学生や中学生の姿をまじえ、教育虐待の深刻さを伝えた。

暴力をふるう監督を支持する保護者たち

その取材で、担任からのパワハラには目を光らせるのに、暴力をふるうミニバスケットクラブの監督を支持する母親に出会った。

「全国(大会に)に連れて行ってくれるから」だと言う。平手打ちや「死ね」「帰れ」の暴言を「どうせ社会に出たら理不尽なことだらけだから、今から慣れておいたほうがいい」と有難がっていた。彼女彼らも程度の差こそあれ、私と同じスポーツ毒親だった。

取材の幅を広げると、指導者の暴力やパワーハラスメントや性暴力にわが子を差し出す一方で、自ら同じようなことをやってしまう親もいた。ただし、彼らもそうやって育てられている。人は無意識のうちに、育てられたように育ててしまう。

毒親たちは、スポーツにおける暴力が許容されていた過去の時代の被害者ではないか。

そして2012年、私たち毒親にとってターニングポイントになる事件が起きる。12月23日。大阪市立高校バスケット部員が、顧問による暴力や理不尽な扱いを苦に自死したのだ。

「自殺した子はキャプテンの器ではなかった」「自死の原因は親の態度」「キャプテンを辞めたら大学の推薦がとれなくなると親が言った」

13年1月に事件が発覚すると、親子への強いバッシングが起きた。親のありようが違えば自死を防げたかのような論調が目立った。暴力やパワハラを用いたスポーツ指導が問題なのに、「人づてに聞いたが自殺の原因は親だ」と私に言ってくるメディア関係者もいた。家族や教員らに直接取材して事件のルポルタージュを執筆した私の意見に、耳を貸してくれる人は少なかった。