なぜ「海の宝石箱や~」が鉄板フレーズになったのか

とはいえ、彦摩呂のフレーズが「海の宝石や~」であったとしたら、「海の宝石“箱”や~」ほど流行ったかどうか、正直疑問である。食ベ物を宝石に見たてるのは常套手段のひとつだし、テッパンフレーズとして定着するには、インパクトに欠けていただろう。ではそのインパクトを生みだしたのは何か?

そう、「箱」である。宝石がひとつではなく、いくつもが箱の中で輝いている。ひと粒でもすばらしい宝石が、目の前にいくつもあるという幸せ。刺身は一種類でもおいしいが、海鮮丼や船盛りが人気なのは多種多様な味を存分に楽しめるという点にある。

例に挙げた寿司も高級チョコレートもひとつだけ、あるいは一種類だけ食ベることはあまりない。ケーキバイキングが人気なのも、目の前に並ぶ色とりどりのケーキを、好きなだけ選んで食ベられることに幸せを感じるからだろう。宝石箱のイメージは、この種の多幸感をうまく演出してくれる。

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「箱」という表現の魔力

もともとは海鮮丼の容器である丼を、「宝石箱」と表現したシンプルなメタファーである(図表1)。だが、大きな丼に刺身とご飯が少しだけ入ったスカスカの海鮮丼がありえないのと同じように、宝石箱あるいは宝箱も、きらめく宝石類があふれんばかりに詰めこまれているイメージをもともと備えている。

出典=『おいしい味の表現術』より

「海の宝石箱や~」は、輝かしい新鮮な刺身の外見を宝石に喩えると同時に、そのすばらしい宝石が「箱」からこぼれ落ちそうになるほどたくさん目の前にあるという夢をみせてくれる。現実には、宝石がひとつか二つしか入っていない宝石箱や空っぽの宝石箱がいくらでもあるはずなのに、考えてみれば不思議である。

「○○の宝石箱や~」というフレーズを、海鮮丼以外の食ベ物にも応用可能な万能フレーズに引きあげたのは、おそらくこうした「箱」の魔力によるところが大きい。

彦摩呂の定番フレーズのなかに、「○○の宝石箱や~」から派生した「お口の中が宝石箱や~」があるのをご存じだろうか。口の中がおいしさで満たされている様子が伝わってくる(図表2)。

出典=『おいしい味の表現術』より

それも一種類ではなく、さまざまな味によってかもしだされるおいしさである。豊潤な味のイメージを想起させてくれるのは、このフレーズでもやはり「箱」だ。ここでは「口」が「箱」の役目を果たしている。

口の中は「宝石箱」として表現できるのか

しかし、図表2に違和感を覚える方もいるのではないだろうか。口の中では宝石の輝きは見えないし、そもそも宝石は食ベてもおいしくない。

「イクラがルビー、アジがサファイア、鯛がオパールみたいに見えた」と彦摩呂自身も述ベているように、最初は新鮮な刺身の輝きを宝石の輝きに見たてたメタファーだったはずである。それがいつの間にか、食ベ物の「味」を「宝石」に見たてるメタファーとしても成立するようになった。