グルメリポーターの彦摩呂さんは「○○の宝石箱や~」というフレーズで広く知られている。なぜこのフレーズは突出してウケたのだろうか。大阪工業大学の辻本智子教授は「ただ偶然で当たったわけではない」という――。

※本稿は、瀬戸賢一編、味ことば研究ラボラトリー『おいしい味の表現術』(インターナショナル新書)の一部を再編集したものです。

日本の魚介類のクローズ アップ
写真=iStock.com/ppengcreative
※写真はイメージです

「○○の宝石箱や~」はどうやって生まれたのか

「海の宝石箱や~」

いわずと知れた、グルメリポーター彦摩呂の代名詞ともいえるフレーズ。本人があるインタビューで、このテッパンフレーズの誕生秘話を明かしている。

北海道のロケに行って、魚市場の賑やかな市場食堂で海鮮どんぶりが出てきまして。その輝かしい新鮮な刺身たちを見て、「うわぁ、海の宝石箱や~! と言うたんですよ。(中略)イクラがルビー、アジがサファイア、鯛がオパールみたいに見えたわけです。(NEWSポストセブン「彦摩呂『○○の宝石箱や~』はマンネリ打開のためだった」)

刺身の輝きを宝石の輝きに見たてる、まさに正統派メタファー(隠喩)だ。「『食ベ物を他の物に喩えたら(オンエアで)カットやな』と思っていた」(デイリースポーツオンライン「彦摩呂、名言『宝石箱や~』誕生秘話を明かす『悩んでいる時期』に」)と彦摩呂は言うが、味を他の「もの」に喩えるのは、言語の世界ではごく自然なことである。

私たちにとって、味はきわめてとらえどころがない。「食材」やその結果としての「料理」は見ることもでき、触ることもできる。だが「味」は見えない。もちろん触ることもできない。

こういう抽象的な対象について語るときに欠かせない便利なツールが、メタファーだ。あまりにも日常的に定着しているために気づかないだけで、味は比喩的には「もの」として扱われるといっていい。メタファーのもっとも素朴で根幹的な見たてである。

本稿では、味が比喩的にどのような「もの」として扱われるかを探りたい。「○○宝石箱や~」を分析してみよう。

食べ物を宝石に見たてるメタファーは珍しくない

彦摩呂といえば、ほかにも「お肉のIT革命や~」とか「麺の反抗期や~」とか「肉汁のドリンクバーや~」などのメタファー表現がお得意だが、残念ながら「○○の宝石箱や~」ほど浸透しているとはいえない。