心を病む記者を増やした新聞社のデジタル化

「人は城、人は石垣、人は堀」は戦国武将、武田信玄の名言だ。人を大切にし、人を育てなければ強い組織はつくれないと示唆している。

坂夏樹『危機の新聞 瀬戸際の記者』(さくら舎)

私がお世話になっていた新聞社は、2019年に早期退職200人を断行した。早期退職といえば聞こえはいいが、要するに首切りだ。残念ながら「背に腹は代えられない」とばかりに、「城」と「石垣」と「堀」を優先させたと言わざるを得ない。新聞社の財産は言うまでもなく「人材」。いくらデジタル化が進み、最新鋭のコンピュータを導入しても、特ダネを取ってくるのは人であり、ニュース価値を判断するのは人であり、心に突き刺さるような文章を綴るのは人でしかない。

たしかにデジタル化の進展で、雑用が少なくなり、新聞制作は飛躍的にスピードアップされた。そこで浮いた時間を本来の取材や原稿執筆のために使うようになったかというと、そうではなかった。浮いた時間は合理化と効率化のために使われてしまった。

人減らしの原資になってしまった。

人減らしは記者から笑顔を奪い、将来も奪いはじめている。

デジタル化が進み、人減らしが露骨になってくるのと比例するように、心を病む記者が増えてきた。

昔と現在では記者の総数が違うので人数だけで単純に比較できないが、肌感覚でいくと心を病む記者の数は2~3倍にはなっているように思う。きわめてプライベートなことなので詳細を明らかにすることはできないが、その症状は重症化しているように感じる。

「見て覚えろ」もなく放置される新人記者

私が第一線で記者をしていた20年以上前にも、心を病む記者はいた。行方不明になったり、自宅に閉じこもって出社してこなくなったり、仕事の不安を酒でごまかすのが高じてアルコール依存症になったりする記者が何人もいた。

当時は「働き方改革」や「パワハラ」など話題にもならなかった。

私も「精神的にダメになるのはもともと弱い奴だ」などとまったく間違った認識を持っていた。いや、私だけではなく、一般的な認識もそうだった。

時代とともに、心を病んだ記者をフォローする態勢ができてきたし、勤務体制も昔のような「基準外時間労働が200時間」などというめちゃめちゃなことはなくなった。

にもかかわらず、感覚として心を病む記者が増えていると感じるのはなぜだろうか。次の二つが原因ではないかと思っている。

デジタル化の進展による「徹底的な人減らし」。
デジタル化で出現した「会話のない職場」。

新人の記者はほったらかしにされることが普通になった。

徹底的な人減らしで必要最低限の記者さえ備えていない地方支局では、誰もが自分のことだけで精一杯だ。新聞記者の世界に足を踏み入れたばかりで右も左もわからない新人を懇切丁寧に指導する余裕などあるはずがない。

私が新人記者だった時代も、手取り足取り指導を受けたわけではなかった。「先輩の仕事を見て覚えろ」と言われ、ほったらかし同然だった。

しかし、ほったらかし同然とはいえ、先輩は仕事を「見せて」くれた。たまには晩飯に連れ出してくれて、それとなく愚痴を聞いてくれたりした。完全に放置にされていたわけではなかった。いまではほとんどの新人が放置されてしまうらしい。

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