「一緒に食事ができる、普通の生活ができればなあ」

私は女性の夫に話しかけた。

「今、一番望まれていること、こういう生活になりたいということは?」

すると夫はしばらく考えたのち、

「いつからだったかなぁ。昨年の10月すぎくらいから(妻が)『調子が悪い』と言うことが多くて、3食ともこっちが作っているんだよ。それはまだよかったんだけど、今みたいな状態だと、病人用に食事を作って、自分用にも作らなきゃいけない。無駄な時間だし、負担なんですよ。俺だってこの間、道を歩いていたら意識が遠くなって倒れて、頭を縫ったんですよ。だからさ、一緒に食事をしてさ、調子が悪ければ寝ていればいいんだけど、普通の生活ができればなあって。朝の時間になったら起きてもらいたいし、朝飯はちゃんと一緒に食べてもらいたいね」と淡々と言う。

夫の答えを聞いて、その生活があまりに普通のことで、悲しい気持ちになった。

この家は物が散乱して、絨毯は汚れがこびりついている。なにかが腐敗したような臭いも鼻につく。だが室内の片隅には、一回分ごとの薬を収めた小さなプラスチックケースがある。妻のために夫が仕分けしているようだ。

30分間、妻が夫を見ることは一度もなかった

夫は妻に対して、愛情がないわけではないだろう。こうして訪問診療ともつながるし、たとえスーパーの出来合いの総菜でも、妻のために買い、食事を与え、薬も準備しているのだから。

しかし一方で、妻のほうはどうだろうか。30分間、その家にいたが、妻が夫を見ることは一度もなかった。

その家を出てから千場医師はこう言った。

「おそらく奥さんは鬱が強い状態だと思います。その鬱が認知症からきているものなのか、それとも、もともと精神疾患的要素があって加齢とともに強くなっているのか。またはご主人との関係性で鬱になってしまったのか。専門医療機関では一番可能性があるのは、認知症からくる鬱だといわれていますが、でも実際に奥さんと話すと、認知症という感じがしないんですよね」

たしかにスマホに文字を表示すれば、十分コミュニケーションがとれるのだ。

今回が4回目の訪問診療だったが、「今ようやく訪問診療の形が整ってきたところ」と千場医師が続ける。

撮影=笹井恵里子
「まちの診療所つるがおか」の外観