死ぬことで本当の親になれる

余談ですが映画「エイリアン」はまさにそれをテーマとした映画です。

あのエイリアンの母親になることをおぞましい形で描いている。彼らがエイリアンを産み、その後皆死ぬのはそのためです。ですからこれはいわば毒親というものの無意識のファンタジーなのです。ですから重要な倫理が必要です。死ぬことの倫理が必要だと思います。

マルクス・ガブリエル著、大野和基インタビュー・編、月谷真紀訳『わかりあえない他者と生きる』(PHP新書)

この件についてもう一言言わなければなりません。個人的な話です。私は父を見送ったときに父を本当に心から誇らしく思いました。立派な最期でした。心底驚かされました。父が亡くなったのは2年前で、病院で看取ったのですが、父は実に見事でした。私のために死の舞踏を見せてくれたのです。

父はベッドから起き上がって言いました。「これは死の舞踏だ。私の最後の踊りになるだろう。見ておきなさい、死がどういうものか」。父は笑っていました。死に際の父はヒーローでした。そのことに救われたのです。私たちは誰でも親との間にわだかまりがあるでしょう、それが人間ですから。でも死に際の父が立派だったのを見たおかげで、私はすーっと解放されたのです。

人は死ぬ運命です。

いずれ存在しなくなる。それが私の人生です。それ以外ではありえない。私たちのほうが年を取っていていずれ死ぬのだという事実を、子どもが私たちに思い出させなければならない。それが子どもの役割です。

それでいいのです。あなたはこれを悪いことのように、あるいは生物学上のものだと考えるかもしれません。私は良いことだと考えています。そのおかげで私たちは賢くなり、自分の人生における立ち位置を受け入れられるようになるのですから。

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