公明党の御用聞きと化した自民党

今や公明党を抜きに、日本政治は語れません。

民主党が参議院の運営で苦しんで政権担当能力を持てなかった理由は、野党が自民党を切り崩せなかったことと、公明党が自民党に付き合って「連立野党」をやっていたためです。これが、現代に至る日本政治に決定的な意味を与えました。

公明党は平成11(1999)年から自民党と連立を組んでいますが、小泉内閣や安倍内閣(平成18年、19年時)では、あまり発言権がありませんでした。

たとえば東京都議会議員選挙は公明党が重視する選挙で、その前後3カ月以内の衆議院選挙を嫌います。しかし、小泉首相は郵政選挙で、関係なく解散権を行使しています。麻生首相も、リーマン・ショックへの対応を理由に、予定されていた解散をやめました。

ただ、これは昔の話。自民党総裁である総理大臣が創価学会・公明党の意向を気にせずに解散を延期できたのは平成21(2009)年の麻生内閣まででした。

平成21年の衆議院選挙で自民党が敗北し、野党に転落した時に公明党もいろいろと悩んだそうですが、公明党は与党になった民主党にすり寄るよりも、自民党と野党暮らしを付き合った方が後々で力を得られるであろうと判断しました。3年3カ月の野党暮らしに耐えたことが、今活きていますから、的中です。

その平成21年の衆議院選挙は、国民が自民党の麻生内閣に対して本気で怒った選挙でした。国民が本気で怒った時は、創価学会が自民党についていても選挙に勝てないことが明らかになった選挙でした。

ただ、国民が本気で怒るのは15年に1回ぐらいです。

だから自民党としては、国民は15年に1回しか怒らないので創価学会と組んでおけば、いつまでも与党でいられると考えています。

野党は安倍政権の補完勢力でしかなかった

ここから、平成24(2012)年の衆議院選挙に勝利し、与党に戻った自民党の視点で見ていきます。平成24年から8年間の安倍自民党総裁の時代で6回選挙が行われましたが、その内容を少し振り返ってみましょう。

平成24年、第46回衆議院議員総選挙では、294議席を獲得する大勝で民主党から政権を取り戻します。

平成25(2013)年、第23回参議院議員通常選挙では、自民党は115議席を獲得して勝利し、自民・公明両党で参議院の多数を握ることができました。ねじれ国会を解消します。

平成26(2014)年、第47回衆議院議員総選挙では、消費税10%への増税延期を問う解散総選挙でした。291議席を獲得し勝利します。

平成28(2016)年、第24回参議院議員通常選挙でも、消費税増税延期を掲げ、自民党は121議席を獲得し勝利します。

平成29(2017)年、第48回衆議院議員総選挙は、同年9月に民進党政調会長の山尾志桜里が不倫スキャンダルで騒がれた瞬間に解散をして勝利しました。

令和元(2019)年、第25回参議院議員通常選挙は、立憲民主党の枝野幸男が勝たせてくれた選挙でした。消費税10%への引き上げを掲げながら自民党が勝利します。

安倍晋三が自民党総裁を務めた8年間での選挙は、自民党の6連勝という結果でした。

この8年間で野党は何をしていたのかと言うと、自民党を選挙で勝たせるための補完勢力となっていました。平成24年の衆議院選挙で敗北し、野党に再び戻った民主党は分裂を繰り返し、民進党、立憲民主党と変わっていきます。民進党も立憲民主党も野党第一党でしたが、安倍内閣を選挙ですべて勝たせてしまいました。