似通った価値観を持つ仲間だけで集まる傾向が強まった
内閣府が実施している「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」で日本のデータを見ると、友人や仲間との関係に悩みや心配事を抱く若者は、1980年代から90年代まで減少傾向にありました。
ところが、2000年代に入ると傾向が反転し、そこに悩みや心配事を抱く若者が急増します。この時期は、ちょうど日本社会が坂道の時代から平坦な時代へと移行した頃です。悩みや心配事には不満の要素と不安の要素の双方が含まれていますから、おそらくこの時期に、不満の減少分を不安の増大分が凌駕してしまったのでしょう。
今日の若者たちは、このような不安を少しでも減らそうと、似通った価値観を持つ仲間内だけで、狭く固く閉じた関係を築こうとする傾向を強めています。少なくとも表面的には、そのほうが安定した関係を維持しやすいと感じられるからでしょう。この傾向は、青少年研究会の調査にもはっきりと表われています。若年層の人たちが新しい友人と出会う場所の多様性は、かつてより減ってきているのです。
もちろん今日では、ネットの普及によって多種多様な人々がつながりやすくなったのも事実です。SNSを駆使して、交友関係を世界に広げていこうとする若者も確かに存在しています。ユーチューブなどの動画投稿サイトで、自己表現を試みる若者もしばしば見かけるようになりました。
しかし他方では、ネットがあるからこそ、それを活用して似通った仲間どうしで固まり、その同質的な間柄だけで、時間と空間の制約を超えてつながり続ける若者が増えているのも事実です。そして、数としてはこちらのほうが多いといえます。
内閉化した人間関係で躓くと瞬く間に孤立する
ところが、このように人間関係の内閉化が進むと、仲間内での世界に安住できている間はよいかもしれませんが、いったんその内部の関係に躓いてしまったら、もうどこにも自分の居場所は見当たらなくなってしまいます。大海に浮かぶ孤島から放り出されるようなものだからです。
たとえば、学齢期の子どもたちが、イツメン(いつも一緒のメンバー)から外されたことを契機に不登校になりやすい理由もここにあるでしょう。皮肉なことに、安定した居場所を確保するために人間関係を内閉化させてきたことが、かえってその分断化を推し進め、そこに孤立的な状況が生じやすくなっているのです。