きれいごとではすまない“修羅場”を見て感じたこと

こうしたやさしい目線がなぜ伊藤さんの中に存在するのか。

「役場に入って、本当にいろんな経験をしました。ニュースやドラマの話かと思えるような虐待や貧困に触れることもあります。例えば、電気・水道が止まりそうなご家庭もある。近隣の家で虐待が起きているといった通報電話を受け緊急出動することも珍しくありません。『自殺したい』という方からの悲痛な叫びが持ちかけられることもあります」

きれいごとではすまない“修羅場”を毎日のように目にすることで、伊藤さんは近隣住民同士の付き合いや、地域交流が重要だと改めて認識し、そのために役場としてできることを最大限にしたいと思ったという。

伊藤さんの企画内容の特徴は前述したようにスポーツを絡めたイベントが多いということだ。聞けば、「スポーツに人を笑顔にする力がある」と確信したのは、学生時代にバレーボール教室のスタッフをしていた頃だという。

生まれは宮代町の隣、白岡市。親がバレーボールをやっていて自身も小学生でバレーを始めた。埼玉県でベスト4になり私立の名門、埼玉栄中から声をかけられ進学する。高校も埼玉栄に入学。インターハイにも出て、ベスト16になった。

東京経済大に進み1年生からリーグ戦に出場した。そして、大学での講師との出会いが運命を決定づけていく。

大学の体育の授業でバレーを受け持つ非常勤講師が「FC東京」のバレー部門の総監督をしていた。それが縁で大学2年の終わりぐらいからFC東京バレーボールチーム普及スタッフとしてアルバイトを始める。ユースチームの指導や、都内のママさんバレーチームへの出張コーチなどをした。

「小さい頃からずっと勝ち負けにこだわった(競技としての)バレーをしてきました。でも、FC東京でのスクール活動や社会貢献活動をみて、スポーツの魅力が(勝ち負け以外に)もっと幅広いものだと痛感しました。自分が(部活などで)培ったものをそれに使ってみたいなと思いました」

サッカーのJリーグの各クラブには自治体・企業・学校などと3者以上と連携した社会活動をする理念がある。略して“シャレン”と呼ばれる。実はフードドライブもそのひとつで、伊藤さんもそんな活動をしたい、と心を揺さぶられた。

資料を作って親会社の東京ガスの担当者に会って熱意を伝えると、念願かなってFC東京に入社することができた。

バレー教室など普及に務めていた16年2月、Jリーグが主体となって行っている国際貢献事業の「スポーツ・フォー・トゥモロー」の講師にFC東京の中から選ばれる。24歳の時だった。また、当時、大地震が起きてまだ情勢不安なネパールに一週間派遣された際にはスポーツの楽しみを伝えつつ、防災教育を教える機会が持てた。

筆者撮影

「ネパールでの体験は大きなターニングポイントになりました。地震で家も壊れた土埃の殺風景の中で、言葉は『ナマステ』しか通じなかったけれど、子供たちがバレーを楽しんでくれた。勝敗以外の価値が刻まれた。自分の生まれた田舎町にも届けたいなと思うようになった」

スポーツで笑顔を届けられる仕事は何か。将来のことを考えると生まれた街のことも気になる。「自分の世界観を具現化できるのは公務員かもしれない」と思いつく。