「いつか、日本を超えてみせる」という「克日」

最近は聞かなくなりましたが、「克日(グクイル、극일)」というのもありました。一九八六年ソウルアジア競技大会、一九八八年ソウルオリンピック開催の決定などで、未来に対して自信を得た韓国社会は、軍事政権の主導で「いつか、日本を超えてみせる」という意味で克日キャンペーンを展開しました。あくまで逸話ではありますが、「克」は「勝」より勝ち負けのイメージが弱く、自分で自分を乗り越えるという意味があるので、克が選ばれたとも聞きます。

韓国では、「克」の字は、一般的には「克服」と「克己」ぐらいしか使いません。特に軍事政権の頃は、「克己訓練」という言葉が有名でした。強度の強い訓練のことで、例えば高校生、大学生が海兵隊に体験入隊してわざと強い訓練を体験することなどを、克己訓練、または克己体験と呼びました。

一九九〇年代初頭まで、高校にも軍事訓練のような授業(学校訓練、「校練」)がありましたが、先生から適当に「よしっ、授業が終わるまでグラウンドを走れ!」と言われ、授業が終わった後に「先生、これ何の意味があるんですか」と聞くと、ほぼ間違いなく「克己を知らんのか!」と叱られました。いや、いまさらですが、それって「体育」とどう違いますか、先生。

いま思えば、軍事政権の克日というのは、ただ走り続けるだけのものだったかもしれません。努力すると言っても、節約しろ、頑張れ、労働組合などには入るな、そんな内容ばかりで、詳しい「指導」がされていたわけでもありません。でも、少なくとも人々の頭の中には、希望的な何かを植え付けてくれました。当時の軍事政権は、安保・経済面で日本と協力するしかないということを公言しており、そういう側面では、反日思想は邪魔でした。それをうまくコントロールしようとしたのでしょう。

「克日」とまったく反対の概念である「卑日」

いくつか存在する反日思想のカテゴリーの中でも、この「克(克己)日」は「卑日(ビイル、日本を見下す)」とは、まったくの反対側の概念となります。なぜなら、反日思想から「克己」を極大化させようとしたのが克日で、反日思想から「克己」を極小化させたのが卑日だからです。そう、苦しくても頑張って乗り越える(克)のが克日なら、「日本を乗り越える必要はない。なぜなら、韓国がもっと上にあるからだ」と設定し、自分自身は何もする必要がないシチュエーションを作る。それが、卑日です。

シンシアリー『卑日』(扶桑社新書)

親が、子に対して「徹夜で勉強してテストで良い点数を取れ!」とするのが克日なら(これはこれで息苦しいですが)、「テストなど、人生に何の役にも立たない」とし、テスト自体を否定してしまうこと、それが卑日です。テストという存在を、間違った教育システムの象徴だと「見下す(卑)」ことで、自分自身を、テストで順位を決めるシステムそのものよりも上位の高品格な「何か」に設定するわけです。

嫌日や用日とは違い、日本側のネット用語に慣れている人でもなければ、韓国側で卑日という言葉を使う人は、まずいません。日本側でだけ、たまに目にする言葉です。なぜ韓国に相応の言葉がないのかと言うと、韓国が日本を見下しているという自覚そのものがないからです。

ただ、先の例えだと、現実でテスト拒否した人が卒業できるという保障はありません。同じく、韓国社会でも、一部の人たちが、卑日スタンスに対して「現実とかけ離れている」と指摘することもあります。残念なことに、「韓民族が日本民族より劣っているというのか」「日本が韓国を植民地にしたときと同じ理屈だ」などの反論に潰されるのがオチですが。

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