「平均的な人」は、今存在しているのか
モノがなかった時代には、「平均的なニーズ」を考えるセンスがあればモノは売れました。
平均的なサラリーマンであれば、こういうスーツを着るはずだ。こういう栄養ドリンクを飲むはずだ。こういう車が欲しいはずだ。平均的な主婦であれば、きっとこんなドラマを見るはずだ。こういう服が欲しいはずだ、というように。
しかし、そのような「平均的な人」は、今存在しているのでしょうか。立ち止まって考えてみると、全部が平均みたいな人なんてどこにもいませんよね。
現実に暮らす人々は、年収も、趣味も、暮らし方も、仕事の内容も、もはや、みんなバラバラです。貧富の差が広がり、二極化しているといわれますが、価値観に絞っていえば、二極どころではなく、多極化しています。
例えば、昔はよく売れていた「総合ライフスタイル系ファッション雑誌」の部数が、ここ10年で激減していますよね。
出版社の人は、出版部数の激減の理由を、「デジタル化」への対応の遅れであると考えがちですが、私は「平均=マス」向けの「ライフスタイル」なんて、もう存在しなくなってしまっていることの方が原因として大きいと思います。
雑誌でまとめられるよりも、個々にインスタグラムで好きなインフルエンサーを追いかけていた方が参考になるからです。
もう、「平均的なトレンド」への需要はないのかもしれません。
アパレル業界だって、ビッグサイズや、スモールサイズを扱うようになっていますよね。3Dプリンタなどの技術を用いながら、その人のサイズにぴったりと合った縫製をするアパレルも増えてきています。
例えば、スタートアップ企業のunspunは、3Dプリンタを使ってすべての人にぴったりのジーンズをつくることを売りにしています。
マス的な発想からはもうヒット事例は出てこない
よく、「これからの時代は、モノじゃなくて、コトを売るんだよ。やっぱり体験だよ」なんてわかったような、わからないようなことをいうマーケターがいますが、「モノか、コトか」という議論に、私はそんなに意味はないと思っています。
「ニッチでも、価値観がはっきりあるモノやコト」は売れるケースがあるけれど、「全員が買う」という現象がなくなっただけではないでしょうか。私は、今後のブランドのヒット事例は、マス的な発想からはもう出てこないと思っています。
マスニッチのように、ある少数の人のインサイトを深く掘っていくと、意外にも多くの人にも共感されるようなヒットはあっても、最初から「平均的なみんな」を想定するマスマーケティングの発想からは、深く共感される価値を導くことが難しくなってきているからです。
先ほど言及したFentyはまさに「平均」ではなく、「私(たち)」から発想されたブランドでした。平均的消費者像を描いてみたり、最大公約数的な価値観を延々議論したりするだけでは、到底「ヒット作」をつくれなくなっているのが現実です。