終身雇用・年功賃金は消え、賞与も退職金もダダ下がり…減給の30年史
1980年代後半からサラリーマンの現場を取材してきたが、①終身雇用という仕組みが揺らぎ始めたのはバブル経済崩壊以降だ。とくに現在のリストラの常套手段である「希望退職者募集」が本格的に始まったのもこの頃だ。経済の停滞や経営環境の深刻化に伴い、企業は固定費の削減を収益改善策の緊急避難的な手段としてリストラを実行する。
その源流は1993年のパイオニアの解雇だ。対象となったのは35人の中高年管理職。当時の松本誠也社長直々に社員を社長室に呼んで個別に面談し、涙ながらに会社の苦境を伝え、引導を渡すというやり方を取った。今から見れば牧歌的な雰囲気すら漂うが、当時は事実上の指名解雇であるとしてマスコミの指弾を浴びた。
その結果、以降は労務に長けた人事担当者が辞めてほしい社員と水面下で接触し、退職勧奨して辞めさせる手法が主流になる。
とはいえ、こうしたやり方では数百人、1000人単位の大量の人員削減は難しい。そこで登場したのが退職金の割増しを条件に全社的にオープンに「希望退職者」を募集する方法だった。
ただし、それは表向きで、実際は退職勧奨によって辞めてほしい社員に応募を勧め、残ってほしい社員を慰留するものであり、パイオニア以降の個別の退職勧奨を隠蔽する手法に変わりはなかった。
そして1990年代後半から2000年初頭にかけて大量の希望退職者募集によるリストラが吹き荒れる。それを後押ししたのが株主優先主義の風潮である。企業のROE(株主資本利益率)重視の傾向が強まり、リストラすれば市場が評価し、株価が上がるという現象が発生し、経営者にリストラの免罪符を与えた。
大手化学メーカーの人事担当者は経営内部の雰囲気についてこう語っていた。
「自社の株価や株主対策をどうするかということに役員たちは腐心している。財務体質を強化しないと格付けが下がるとか、きちんとした姿勢を見せないと市場は評価しないという点を社員に強調し、説得材料にしている。たとえば特別損失で何千人削減すれば、どれだけ削減効果が見込めるかといった計算をするようになっている」
そうした風潮に対して90年代後半にトヨタ自動車の奥田碩会長が「従業員の雇用を守れない経営者は腹を切れ」と発言。経営者の姿勢に釘を刺したが、リストラが恒常化していく。この頃から終身雇用の崩壊が叫ばれるようになった。
では、②年功的賃金はどうやって崩れたのか。