「自分は悪くない」という言い訳に使っていないか

一方的に「毒親」のせいにしていても、何も変わりません。二者関係の一方を、独立した存在として「毒」と規定することはできません。一方的な被害者のような主張はおかしい。自分の責任をまぬかれようとしています。自分自身の成長をストップさせ、思考停止し、「自分は悪くない」「自分は何もしたくない」、そんな言い訳や免責として「毒親」という言葉を使ってはいないでしょうか。

私は「親は悪くない。毒親と主張する子どものほうが悪い」と言っているわけではありません。問題のある親は確かにいます。彼ら彼女らは、子どもたちの場所(職場、結婚後の家庭など)に侵入して時間を奪い、将来を考えるゆとりもひまもなくしてしまいます。児童期(18歳未満)に長期にわたって異性の親の性的対象とされ、成人後も複雑性PTSDや境界性パーソナリティに悩まされている人々も少なくありません。

こうした親は、確かにトキシン(毒)を持つ親です。しかし、そうした毒を浴びた子どもたちの中には、「生き残る(サバイブする)」だけでなく「成長する(スライブする)」工夫をしている人々も少なくありません。そうした人々は、成長することに専念しているので、「毒親」などと言っているひまがないように見えます。

私が「毒親論」が一面的すぎると主張するワケ

そもそも、親子関係というのは「共謀関係」です。例えば、いちいち子どものすることに口を出して干渉かんしょうしているお母さんと、それに応えて、“よい子”をやってしまう二者関係があったとします。母親が一方的に娘や息子にしかけて、こういう関係が成立するわけがありません。子どものほうにも甘えたい心があって成立する。

斎藤学『「毒親」って言うな!』(扶桑社)

子どもといっても、本当に子どもの頃なら親に依存しても甘えても当然ですが、対等であるべき大人の二者関係になっても同じような関係が続いているのは、口には出さなくてもお互い相手に「そういう立場をとってね」という気持ちが透けて見えるから成立する。魚心うおごころ水心みずごころ、お互いさまということです。

ここまで説明すれば、「毒親論」は一面的すぎるということがわかるでしょう。「毒親」が確かに存在することは前述の通りです。しかし、「毒親本」愛読者のほとんどの親は、意図的に毒だけを与え続けてきたわけではないと思います。

むしろ、「親にこうされたから自分はこうなった」という宿命論的な“私はダメだ精神”、そこからどうやって抜け出すかに目を向けてみてください。

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