30年間、本を読み続けても頭は良くならなかった

馬鹿馬鹿しい話ですが、私は本を読んでいたら、いつかは頭が良くなると信じていました。以来愚直に30年読み続けてきましたが一向にその兆しはありません。きっと本を読む量も質も、どちらも足りなかったのだろうと考えていたら、保坂和志の『言葉の外へ』に出会うことができました。

読書とは第一に“読んでいる精神の駆動そのもの”のことであって情報の蓄積や検索ではない。ということをたまに素晴らしい本を読むと思い出させられる。

読書とは「精神の駆動」である。想像の斜め上から飛んできた言葉に驚きました。駆動という言葉に引きずられたのか、保坂和志の文章を読んでいるときにずっと脳裏に浮かんでいたのは、小学生のころ、両親に連れていってもらった鈴鹿サーキットでした。

日曜日に、子ども用のゴーカートレースが開催されていて、運転なんかしたこともなかったのに、楽しそうな雰囲気に魅せられて両手をあげて参加しました。

本を読む=サーキットをゴーカートで走ること

本物のレース会場を、乗ったことのないゴーカートで、アクセルをベタ踏みして、全力で走る。カーブが回りきれなかったり、縁石に乗り上げたりして結果は散々でしたが、アクセルを全開にしてハンドルを握って走るのは、楽しかったです。

三砂慶明『千年の読書 人生を変える本との出会い』(誠文堂新光社)

読書というのは、これかと思いました。

サーキットに、それぞれのエンジンを積んだ車が一列にならんでいる。ページを開くとエンジンがかかり、それぞれのドライバーが、アクセルを踏み、ハンドルを操り、ゴールを目指す。順位をゴールに求める人もいれば、風景を楽しむ人がいて、一緒に走ることを喜ぶ人もいる。歓声が湧き上がることもあれば、ただ静かにテープを切ることもあります。でも、読み終わると、走りきった達成感が静かにこみ上げてきて、生きている感じがする。

もちろん、実際は、なぜこの本を手に取ってしまったのかと後悔する本もありますが、なぜ自分には本が必要なのか、その理由が言語化できるようになりました。

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