なぜ人は本を読むのか。書店員の三砂慶明さんは「私は本を読んでいたら、いつかは頭が良くなると信じていた。だが、失敗したり、挫折したときに偶然出会った本が、読書の本当の価値を教えてくれた」という――。

※三砂慶明『千年の読書 人生を変える本との出会い』(誠文堂新光社)の一部を再編集したものです。

コーヒーを飲みながら本を読んでいる人
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絶交したばかりの友人に電話するほど面白かった本

私は本に人生を何度も助けられてきました。

あるとき、なぜケンカしたのかも思い出せないような些細ささいなすれ違いで、親友と絶交しました。その帰り道、駅のホームで電車を待ちながら読みはじめた色川武大の『うらおもて人生録』があまりに面白過ぎて、絶交したばかりの友人にうっかり電話してあきれられました。

電話をかけるのは好きなのに、かかってくる電話を取るのが苦手で、アルバイトもろくにできませんでした。ため息をついていたら、なじみの古本屋さんが声をかけてくれました。

「座ってるだけでいいからさ、面白い本があったら教えてよ」とまるで筒井康隆の「耽読者の家」のようなアルバイトをさせてくれました。

予想通り就職には失敗し、やっとのことで入社できた会社も1年でなくなってしまいました。これから先どうしたらいいか。何を頼りに生きていけばいいのか。考えているうちに時間だけが過ぎていき、自分だけが取り残されているような気持ちになりました。貯金はあっという間になくなり、食べていくための仕事を続けるだけで精いっぱいでした。

読書に教えてもらった世界の違った見え方

目の前に積み上がっていく仕事を夢中でこなしていくうちに、もし、このまま一生を終えてしまったら、私は自分の人生を支えてくれた本とかかわらずに生きていくことになる。どうしたらいいのだろう。

漠然と考えていたら、ある日たまたま開いた朝刊に未経験者可の書店立ち上げの募集広告が掲載されていました。思い切って履歴書を書きました。そして、今に至ります。

自分の人生をふりかえってみて思うのは、私はよく失敗しています。でも、考えてみると、人間は自分の人生を一度しか生きられません。だからみんな、やったことのないことにしか出会いません。

私たちは、はじめての人生を、ぶっつけ本番で生きるしかありません。本番に強い人もいますが、私は人前に立つと緊張し、頭の中が真っ白になって、身体がふるえてきます。

そんなとき本屋の中を歩くと、そっと手をさしのべるように、目の前を明るく照らしてくれる本と出会うことができました。ページを開くと、想像を絶する困難や不幸を乗り越えて、誰も歩いたことのない道を、一歩、また一歩と歩いていく著者とともにその風景を眺めることができました。

世界を変えることはできなくても、自分自身の言葉で、自分自身の人生を生きられたら、世界が違って見えるのだと、私は読書に教えてもらいました。