「医学部でないとダメ」「東大でないとダメ」という思考
「医学部でないといけない」「東大でないといけない」……一部の成績優秀層にはこうした思考パターンに陥る人がいる。
これは認知療法という心の治療法の治療対象のひとつである「かくあるべし」思考だ。この思考パターンの人は物事に対して「かくあるべし」と考えがちで、思うとおりにならないと、「自分はダメな人間だ」というレッテル貼りをしたり、ひどい場合は生きている価値がないと思ったりしてしまう。
そういう場合に、私が専門とする精神科の認知療法では、ほかにも道があることを提示していく。ほかの可能性が考えられるようになれば、うつ病も緩和されていく可能性がある。あるいは、常日頃かくあるべし、この道しかないと思っている人に、ほかの生き方もある、ほかのやり方もあると思えるようになれば、うつ病や自殺の予防になる。
受験生の中に「医学部でないといけない」「東大でないといけない」といった狭い思考になっている人がいたら、どうか「ほかの道・生き方」があることを知ってほしい(これは、東大や医学部に限らず、今冬に名門校を受験する小学生や中学生にも言える)。
私自身、灘高校にいた頃、勉強のやり方を工夫することで成績が上がったこともあって、「医学部に行くなら、東大理Ⅲしかない」と思っていた。それしか頭になかった。ただ、現実に東大理Ⅲに入学し、医学部に進学し、そこを卒業したからこそ、この考え方は間違いだったと断言できる。
出身大学についてあまりネガティブなことを言いたくないが、東大医学部には組織的な問題を抱えている。医学部なら東大だ、と思い込んで受験し合格した人は卒業した後、今度は東大医学部内で偉くなろうとするかもしれない。でも、それはやめたほうがいい。
なぜ、東大医学部はノーベル賞受賞者を出せないのか
理Ⅲ=東大医学部は昔も今も受験界の最高峰であり、最難関である。しかし、ノーベル賞学者を一人も輩出していない。世の中に知られた研究成果や業績にも乏しいと言わざるをえない。
なぜか。それは、上が威張りすぎているからだ。
同じ東大でもノーベル賞学者を数多く輩出する物理学科(理学部)では、教授のことを「先生」と呼んではいけないそうで「さん」で呼び合うそうだ。研究者が対等でないと、自由な研究ができないという考えがあるからだという。
東大医学部内には教授を頂点とする絶対的ヒエラルキーがある。だから、威張っている教授に対してご機嫌伺いするのは、部下なら当然のことだ。
私の結婚式でスピーチをしてくれた高校時代の親友がいる。彼も東大医学部に合格した。ある時、私は執筆した原稿の中で、高齢者の患者へ薬の使い過ぎではないかと彼が所属する医局の教授の批判をした。すると彼は自分の結婚式に私を呼ばなかった。以来、同窓会の案内くらいしか連絡がないような状態となっている。彼は教授のお気に入りであったせいか、現在、東大医学部教授になっている。正直にいえば、研究者としての業績が特に優れているとは思えず、その地位をなぜ手にできたかわからない。
そのくらい教授に気を使わないといけない医局が多い(もちろん、そうでない教授もいると信じているが)。今どき、そんな「白い巨塔」のような閉塞的な組織が何か成果を残せるはずがない。部下は、私生活も自由でないし、研究も自由にできるとは思えない。