混乱した都市風景は日本の魅力でもある
【青木】ヨーロッパでは、建築家は大富豪のため、あるいは国家プロジェクトのために仕事をしますが、少なくとも戦後の日本では、建築家は小さい事業主というか地権者のために仕事をしてきました。そのため、日本ではバラック的なものが建ち並び、混乱した都市風景になった。町中、電信柱だらけで、空中には電線が蜘蛛の巣のように張っている。でも、私はそれが結構好きなんです。大きな権力ではなく、小さな権力の欲望でできている都市風景は、日本の魅力でもあるんじゃないか、と。ところが昨今、そんな有象無象が買収され、一つの資本にまとめられ、再開発されていく。日本的大富豪が生まれ、それが国家戦略と結びついて、彼らが思うヨーロッパ的な都市に変えていっている。
【井上】まだヨーロッパに憧れる心性がなくなっていない。
【青木】とはいえ、ヨーロッパの都市は、時代を跨いだ長い試行錯誤を経て、できあがってきたものですよね。そこでさえ、今や経済論理の力で急速にその姿が変わっていっています。過去と現代とのガチンコがあるからまだそれでも、というところはありますが、日本の場合は、過去はスクラップ・アンド・ビルドで総浚いした上での、大資本の論理だけでつくられる「都市美」です。急ごしらえの美意識で都市をつくるのは、いつだって危険なことだと思いますね。
首都高は結果的に素敵な風景をつくりだしている
【井上】青木さんは混乱した都市風景がお好きだとおっしゃいます。たとえば東京オリンピックのレガシーである首都高は美しい。そう思おうよ、あれは素晴らしいじゃないか、と。セーヌ川の上にあんなものは到底通らないんだけど、これを通すことのできた日本を肯定しようよ、ということでしょうか。
【青木】微妙なところですが、首都高はところどころで、結果的に素敵な風景をつくりだしていると思っています。たとえば『惑星ソラリス』(アンドレイ・タルコフスキー監督、1972年)の映画の冒頭は、首都高を走るシーンです。1970年代における、未来的であると同時にノスタルジックな風景の美しさが、フィルムに定着されています。高架下から見上げると、飯田橋あたりはいいですね。それは、首都高の設計に変な美意識は入っていないから生まれた偶然の産物ですが。美意識がないので日本橋の上も頓着なく通しちゃうという暴挙もあり、問題も多々ありますが、全体的には……肯定したいなと思います。
【井上】わかりました。私はちょっと……いや、ちょっとどころか、かなり違うんです。そこで二人の物別れというオチができますね(笑)。
【青木】(笑)