そのときはコメントにあまりリアリティーを感じていなかったが、父の死とその後のさまざまな手続き、また施設に暮らす母の遠距離介護、そして誰もいなくなってしまった実家の保守や整理などを今、一手に担っているのは私だ。私にはそんなことをしてくれる人はもはやいない。
ひとりで老いて、死んでいくことはそんなに人様に迷惑をかけることなのだろうか。きょうだいも、夫も、子供もおらず生きて、死んでいくのはそんなに罪なのかと考え込むことになった。
誰でもひとり暮らしになる可能性がある
調査によると、日本の全世帯のうち約半分に65歳以上の人がおり、その中でも65歳以上のひとり暮らし世帯は約3割にのぼる。男女の割合は女性のほうが多く、高齢者ひとり暮らし世帯の7割近くを占めることがわかっている。(厚生労働省、2019年国民生活基礎調査より)。ひとり暮らしの人はすべてが独身者というわけではなく、家族と離れて住んでいたり、夫と死に別れたりした人もこの中に入っている。
誰しも将来ひとり暮らしになる可能性があるのだ。
このまま生き延びていくことができれば、いずれ私も高齢者になりこの中に加わることになる。そのときにはもっとひとり暮らしの人の数も割合も増えていることだろう。
最近、スーパーのレジでどう支払っていいかわからず、財布から現金を出したりしまったりを繰り返したのち1万円札を差し出す高齢者がいた。また、空港にバッグを置き忘れて飛行機に乗ってしまい、CAに「降りたらこの番号に電話をして確認してくだい」と何度説明されても理解できない様子の老いた人を見かけた。明日の私の姿だと思う。
誰にも迷惑をかけずにきれいに死ねるか
身の内に修羅を抱えたまま、ほとんど何も話さずじっと窓の外を見つめ続ける母を見舞っていると、生きていくことの意味を考える。私は実家も人生もすべて整理して、誰にも迷惑をかけずきれいに死んでいくことができるのだろうか。大きな問いを抱えたまま、今日も目の前のことに追われてあっという間に1日が暮れてゆく。
「生きているうちは、生きていかなくちゃね」
認知症で入院した当初は自分がそういう状態になってしまったことを嘆き、死にたい死にたいと言っていた母が次第に状況を受け入れ、ぽろりと口にした言葉だ。そう。生きているうちは、生きていかなくちゃね。自分にそう言い聞かせている。