私は発信しないで「いいね」をするだけだから平気、と考える人も危険性を見落としているかもしれません。あなたが何気なくそこで押した「いいね」も、押された側の投稿者だけでなく、第三者の目にも明らかになり、それが思わぬハレーションを起こすこともあるのです。
単なる記号である「いいね」も、見る人によって温度差があります。軽い挨拶のつもりも、強い意思表示と読み取られ、トラブルに発展する可能性もときにあります。
SNSに「共感」を求めることの罠
楽しく「友だち」を広げる可能性もあるSNSについて、悪い面ばかり言い過ぎたでしょうか?
その特性をよく考えたうえで有効な使い方に限定し、ほほえましいやり取りをしている人たちまで、脅かしたいわけではありません。しかし、残念ながら、ネットに対する微妙な温度差から、大きな行き違いが生じることは実際にあります。
思わぬ誤解が生まれ、本来目指されるべきコミュニケーションとは真逆の方向に展開することもよく目にするようになっているのです。
もちろん、イベントなどを多くの人々に知らせるなど、情報を幅広く伝える際、有意義なものでしょう。
しかし、「いまどうしてる?」などの呼びかけに象徴されるように、あなたのプライバシーを露出させ、あなたの感情を揺さぶる仕掛けをはらんだメディアであることは、最初の段階で意識しておくべきだと思います。
本来自律した、自分というものを持っている人であれば、簡単に感情を晒す必要もないはずなのですから。さびしさから「共感」を求める、こうしたSNSの誤った使い方が、社会を幼稚化させてしまった影の部分にもやはり注意すべきだと思います。
それは本当の意味での「共感」ではないのですから。
気づかないうちに溜め込まれていく負の感情
人は嫌われたくない思いがあり、「居場所」を確保したくなる生き物です。
自らに注がれるまなざしから他者の思いを読み取り、人と同じように振舞いたくなる。そうした感覚がベースにあるだけに、少し抵抗を感じるような行動でも「仲間」から嫌われることを恐れて、自分の気持ちを押し隠すことがあります。
それを繰り返すうち、だんだん、自分の気持ちを押し殺すことに慣れていくようになってしまうのです。そしてその引き換えに、グループの中に「居場所」を見つけられたように思い込むこともあります。
しかし、押し隠した感情は、確実に蓄積されています。心という巨大な氷山の水面下に、徐々にマイナスの力として溜め込まれていきます。
そしてあるとき、思いがけないことで爆発するのです。自分の心の底にある思い、どんな小さな引っかかりでも丁寧に見つめて、いい加減にやり過ごさないこと、溜め込んでいかないことが大事なのです。