彼女はその頃の夢を叶え、結婚をして、今ではお母さんになりました。再会したとき、「夢を叶えられてよかったね」と言ったら、彼女はこう言っていました。

「夫に不満があるし、夢が叶ったっていうのかなあ。でも、子どものいる今の家庭は、すごく幸せだよ」

思い描いていたのとは少し違うけれど、幸せだと言える今がある。派手なエピソードではないですが、私はこの話がすごく好きです。

「ふつう」のおじさん、おばさんになる

不登校から20年、30年経って大人になった人たちに会ってみて、私がいつも感じるのは、「ふつうのおじさん、おばさんたちだな」ということです。

不登校時代、いつでもどこでも帽子を深くかぶって、自分の顔をあまり見られないようにしていた寡黙な少年がいました。彼に15年後に会ったら、ふつうのおじさんになっていました。

当時、とてもキツイ目をして厳しい顔つきをしていたのが、透明感のない目をしたおじさんになっていたのです。「昔はずっと帽子をかぶっていたよね」と言ったら、「ああ、工場勤務だから、今でも帽子をかぶっていることはあるよ。そんなこともあったね」と本人も忘れていたくらいでした。

もちろん、何の波風も立たず葛藤もなく過ごしていたわけではないと思います。苦労はあるだろうし、つらいことも経験していると思います。でも、それは不登校ゆえではなく、生きていたら誰でも経験することですよね。

自分のやりたいことを仕事にしようとして、うまくいかないこともあるかもしれません。失恋することもあるでしょう。一方で、仕事に満足することもあるし、結婚して、子どもができることもある。そんな「ふつうの人生」を歩んでいるという意味で「ふつう」のおじさん、おばさんになったんだと、私はいつも思うのです。

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「不登校」の終わりは人によって違う

では、そんなふつうの大人たちになった、元・不登校の子どもたちは、いつ不登校を終わらせたのでしょうか。それには、想像するよりも長い時間がかかっていると思います。

多くの人は、とにかく不登校を終わらせることが大事だと考えがちです。たとえば、学校にまったく行けなかった子が保健室だったら登校できるようになったときに、不登校は終わったと言いたい気持ちになります。でも、子どもにとっては、学校に戻ったというだけで、不登校の終わりを意味するわけではありません。

苦しかったことに決着をつけるための時間の長さは、人によって違います。いわゆる思春期が終わる頃に、不登校が終わる人も多いと思います。一方で、大人になってからも、不登校が終わったとは感じない人もいると思います。

私自身、大人になってからも、不登校が完全に終わったという感覚はありません。不登校という経験と折り合いをつけて生きられるようになったという感覚なのです。