精進料理の献立表

翌日の早朝、成田講の面々は入山し、未明からはじまっている本堂での朝護摩あさごまに参加する。その後、護摩札を頂戴することになるが、護摩終了後に本坊では精進料理やお神酒みきを振る舞われることになっていた。これを、「坊入り」と呼ぶ。

成田山では、成田講に出す精進料理にたいへん気を遣ったようだ。それだけ、成田講の人たちは重要な客だったからである。

運良く、献立記録がいくつか残っている。一口に精進料理と言っても、奉納金額でかなりの違いがあったことが分かる。メニューは奉納金によってランク付けされていたのだ。

文政九年(一八二六)に参詣した講中に出された献立の記録には、煮染め、吸い物、硯蓋すずりぶた(口取り)、大鉢、大平、丼、大鉢、吸い物、大鉢などと書かれている。

最初の吸い物の具は、千本しめじ、白玉、かゐわり(貝割菜)、うど。二度目の吸い物の具は、水前寺のり(熊本の名産品)とまつたけ。最後の大鉢には、葡萄ぶどうと梨が盛られていた。

至れり尽くせりの饗応

吸い物以外の料理では、どんな食材が使われていたのか。

文化十二年(一八一五)の献立記録によれば、きのこ類では、しめじ・きくらげ・まつたけ・しいたけ。野菜では、ゴボウ・しょうが・長イモ・れんこん・うど・竹の子・ワラビ。海藻類ではもずく、水前寺のりなどが用いられたことが分かる。

この時のメニューは、煮染めと赤飯、吸い物、硯蓋、大平、鉢積、丼、さかなで、その後、本膳、二の膳、三の膳が続く豪華な料理だった。煮染めにはゴボウ、しいたけ・かんぴょう・焼き豆腐・やまといもが食材として使われた。仏教の殺生戒を遵守じゅんしゅした植物性の食材の数々である。

実に多彩だが、これだけの食材を取り寄せるのは、さぞ大変なことだったろう。いかに、成田山が成田講に気を遣っていたかが分かる献立だ(『成田山新勝寺史料集』第六巻)。

もちろん、信仰の証としての奉納金あってのおもてなしだったが、講中に対する至れり尽くせりの饗応は、どの寺社にもあてはまることなのである。

「精進落とし」…男たちの密かな楽しみ

朝護摩に参加し、坊入りで心尽くしの接待を受けた成田講の面々は、同じ道を取って江戸に戻るのが一般的なパターンだった。その日は船橋宿で再び宿泊し、翌日に江戸へ到着するという往復三泊四日のスケジュールが多かった。

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ただし、成田から香取・鹿島神宮に向かう道もあったため、成田参詣の折に足を伸ばして両神宮に参詣する者も多かった。寺社参詣の際、直帰せずに近隣の寺社や行楽地も訪れるのは、成田詣でに限らずごく当たり前のことであった。