冤罪事件は忘れ去られ、死刑制度は変わらないまま

私自身も記者として実感した経験があります。

先ほども少し触れましたが、日本の4大死刑冤罪事件のひとつに数えられる財田川事件は、1950年に香川県で起きた強盗殺人事件です。死刑を言い渡された谷口繁義さんが、冤罪だと明らかにされたのは、私が子どもだった1984年。当時、メディアも大きく取り上げ、日本中が谷口さんに同情しました。

佐藤大介『ルポ 死刑 法務省がひた隠す極刑のリアル』(幻冬舎新書)

私が香川県の高松支局に配属されたのは、それから約20年後です。谷口さんは、いまどうしているのか、気になって調べてみたんです。行方不明になっていた谷口さんをようやく見つけ出して入院している病院に行くと、私を誰かと勘違いしたのか、ずっと手を握っているんですよ。彼はその半年後に亡くなりました。

谷口さんは財田川事件で逮捕されたときも、裁判を受けているさなかも、そして、冤罪が明らかになったときも、日本中の注目を集めました。それなのに、判決から時間が過ぎて、谷口さんの存在をみんな忘れてしまっていた。

その反面、死刑制度は、150年も変わらないままの形で残っている。では、これからどうするのか。存置か。廃止か。あるいは、死刑に代わる刑罰は何か。簡単に答えが出る問題ではないからこそ、問い直す必要があると思うのです。

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