「お迎えだ! お迎えに違いない!」
1960年代に福岡拘置所に収容されていた確定死刑囚の手記をまとめた『足音が近づく 死刑囚・小島繁夫の秘密通信』(市川悦子著)には、以下のような記述がある。約半世紀前の手記ではあるが、1回目の記事で紹介したオウム元幹部の井上嘉浩元死刑囚が房から死刑場へ連行される時の証言と、その状況に大きな変化はない。
僕の部屋、つまり南側25房から15メートルほど離れたところに大きなつい立てがある。胸の動悸を全身に感じながら、僕はそこを必死で見ていた。ついたての陰から、まず私服姿の小柄な教育部長が現れた。続いて、制服の役人が10人あまりはいって来た。そのとき事務室から、係長が出てきた。係長は、教育部長を挙手の礼で迎えた。それから僕の部屋を指して、そばの看守に目配せした。
僕は息が詰まった。もう外を見ていられなくなった。僕は、弾かれたように扉のそばを離れた。首筋から背中にかけてゾッとするほど冷たいものがへばりついていた。僕は机にもたれかかるようにして座った。(原文のまま)
房に流れる執行のラジオニュース「その日」の朝、執行される確定死刑囚の房があるフロアは、普段とは違った空気に包まれる。
通常、死刑執行が行われるのは午前8時から9時ごろの間だ。7時25分の朝食が終わった後、執行される確定死刑囚の独房に処遇部門の職員や警備隊員が「お迎え」に訪れ、刑場に連行していく。
「掃除はしなくていいから、こちらに来るように」
朝食後、複数の足音が近づいて独房のドアが開けられたとき、そこに普段の担当看守とは違う拘置所職員や警備隊員が立っていれば、確定死刑囚は自ずとその意味を悟るという。東京拘置所で約2年間、衛生夫として服役した江本俊之さん(仮名)も「その日」を経験している。
確定死刑囚が数多く収容されているC棟11階を担当していた江本さんは、被収容者たちが起床する午前7時よりも早い6時半にはフロアに行き、早めに自分の朝食をすませて、掃除や朝食の配膳などの仕事を行うことが日課だった。だが、死刑執行のあった当日は様子が違っていた。
「朝食を配膳して片づけるときから、刑務官に『悪いけど早くしてくれ』と急かされるんです。その段階でなんだかおかしいなと感じるのですが、しばらくすると処遇部門の課長や係長といった、普段は(C棟11階に)いない人たちの姿が目につきました。
これはなにかあるなと思っていると、8時くらいに刑務官に呼ばれ『掃除はしなくていいから、こちらに来るように』と別部屋に連れて行かれ、30分ほど待機させられたのです。フロアに戻ると房がひとつ開いていて、収容されていた死刑囚がいなくなっており、刑務官が神妙な顔つきで房から荷物を運び出している。その姿を見て、死刑の執行があったんだなとはっきりとわかりました」
それまで同じフロアにいた被収容者の一人が、突然連行されて、二度と戻ってこない。冷徹な事実を突きつけられた確定死刑囚たちは、否応無しにそこに自らの運命を重ね合わせ、激しく動揺する者も少なくないという。