「甲斐」とは、働く目的にならない
毎年(Great Place to Work ® Institute Japan)が「働きがいのある会社ランキング」を発表している。そこでランキングに入る会社は当然に学生に人気がある。このように「働きがいのある会社」というのが、いい会社のように思われているが、実際のところはどうだろうか。
昨今「心理的安全性」という用語もやたらと使われるようになった。しかし「働きがい」と違って、この用語の意味はわかりやすい。漢字に着目すれば、誰でも意味を推測できる。私は「心理的安全性の高い会社に入社したい」という人の気持ちはわかる。人間関係がギスギスした会社で長い期間働くのは、誰だって嫌だ。
一方「働きがい」という用語には「働く」という言葉が含まれているので「心理的安全性」とはかなり意味が違う。
この用語は「働く」と「かい(甲斐)」の2語で構成されている。「甲斐」というのは当然、「やった甲斐があった」という風に使われる表現であり、過去を振り返って覚える感情のことである。とりわけ、勇気をもって、努力して、覚悟をもってやった後に覚える感情だ。
たとえば、営業成績の上がらない部下がいたとしよう。しかし、その部下は最近、家庭の事情で仕事に身が入らないほど疲れていた。そこで、上司が見るに見かねて、こう声をかけた。
「ずっと落ち込んでいても、しょうがないだろ。別れた奥さんは戻ってこない。気持ちを切り替えて、仕事に打ち込んだらどうだ。俺は君に期待している。君ならやれるよ」
このように話したところ、
「そうですね。私が借金を隠していたことが問題だったわけですから、自業自得。落ち込んでいても、しょうがないですよね。わかりました、課長。そのように言ってくださって、ありがとうございます。頑張ります」
部下がそのように心を開いてくれたら、このとき、この上司は、「言った甲斐があった」という感情を覚えることだろう。
つまり「働きがい」とか「やりがい」というのは、「働いた甲斐があった」「やった甲斐があった」という感情のことである。当然、勇気を出して、覚悟を決めてなんらかの行動をした後に覚える感情だ。したがって、働く前から「働きがい」という感情をもつかどうかを推し量ることは難しい。
もっとわかりやすい例を挙げよう。たとえば税理士や会計士、社会保険労務士などの資格をとるために、専門学校に通おうと考えたとする。その際、「勉強しがい」のある学校を選ぶだろうか?
それよりも、その学校へ通うことで資格試験に合格するかどうかというポイントのほうが大事だ。それこそが学校選びの本質だ。
「甲斐」とは努力した結果の証しではあるが、本質ではない。
「働きがい」は「働く」の本質ではないし、「やりがい」は「やる」の本質ではない。「働きがい」も「やりがい」も結果論である。それを求めて働くわけでもないし、やるわけでもない。
つまり「働きがい」とは、働く目的とはならない要素である。そのことを忘れないでほしい。
最低限のビジネスセンスはすべての人に必要
それでは「働く」の本質とは何なのか?
国民の三大義務から考えてみる。日本国憲法には「教育の義務」「勤労の義務」「納税の義務」という3つの義務が定められていて、私たち日本国民はそれを守らなければならない。
働くために勉強し、働いて税金を納める。それを課せられているわけだが、では働く本質とは税金を納めることなのか?
いや、そうではない。私たちは納税マシンではないのだから、税金を納めることが働く本質ではない。ただ言えることは、収益を上げない限り納税はできない、ということだ。本質ではないにしても、働いているだけでは義務を果たすことはできないのだ。
それでは「働く」という言葉よりも「ビジネス」という用語について触れてみたい。私は経営コンサルタントとして、すべての働く人に伝えたいことがある。それはVUCAの時代には、最低限のビジネスセンスをもつべきだということだ。雇用される側の立場であったとしても、である。
ビジネスセンスとは、もちろん「ビジネス」の「センス」である。デザインセンスがある人は、デザインが何かをわかっているし、歌のセンスがある人は、歌が何かをわかっている。したがってビジネスセンスがある人は、ビジネスとは何か、ビジネスの本質とは何かを正確に理解している。
安宅和人著『イシューからはじめよ』(英治出版)に書かれているように、質の高い仕事をするためには本質(イシュー)を見抜くところから始めなければならない。そうしなければ、大きく遠回りするか、いつまでたっても成果を手に入れられない。
それではビジネスの本質とは何であろうか。ビジネスモデルという用語から探ってみる。ビジネスモデルとは「収益を生むストーリー」もしくは「収益を生み出す設計図」のことだ。
前述した通り、納税は義務であるから収益を生まなければならない。そしてボランティア活動をしているわけではないのだから、働く人に物心両面の豊かさを味わえるぐらいの経済的報酬をもたらすことが求められる。
だからビジネスをやる以上は収益を出し、税金を納めても手元に残る十分なお金をつくることが必要だ。