「値上がりを期待して仕入れ」の逆を行く

「暴落だ!」

写真=iStock.com/Bartolome Ozonas
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ピンときた岡田卓也は、そこを離れ、そのまま愛知、京都、大阪などの産地の情報を集め、暴落を肌で感じた。

「下げで儲けよ」の局面だと認識した岡田卓也は、現金をかき集め、暴落含みで弱気のメーカーからサージやオーバー地などをトラック単位で安く買い付けた。

その間、店では番頭らが大売出しの準備をすすめ、その後、有名デパートなどの売価の6掛け程度の値段で売り出しを行った。当然、客は押し寄せ、大儲けをすることができたという。

一般的に、商取引というものは、安く仕入れ、値上がりを待って売るのが当たり前とされている。一般的な商品でさえ、安く仕入れて高く売るというのが常識である。さらに、株や土地はもとより、美術品、希少な高額品も値上がりを期待して購入したり、仕入れたりするものであろう。

その逆を行くのである。

「下げ」を見る肌感覚、そこから瞬時に行動に移す機敏さ、さすがである。

また、大正9年の戦後恐慌で同じように下げの局面で儲けたところも決して少なくはないだろうが、それを家訓として残し、次世代へとつなげていくことができたことも大きいだろう。(蔵の中で見つけた父の日記より、この家訓を知ったという)

バブル真っ只中でも、誘い話には乗らなかった

「大黒柱に車をつけよ」という家訓同様、「上げに儲けるな、下げに儲けよ」とは、解釈的には応用のきく家訓である。

実は、この家訓を岡田卓也が生かしたもう一つの大きな出来事がある。平成のバブル景気のときである。

高級なものがとにかく売れ、就職も超売り手市場、卒業を待つまでもなく就職が決まるのが当たり前だった。テーマパークやリゾート地、ゴルフ場やスキー場などいつも超満員。

企業は高額な接待を行うのが当たり前だったし、夜は札束をちらつかせないとタクシーも止まらないなどと言われた。

企業も、銀行が無限に貸してくれる資金を元手に財テクに走り、日本のみならず海外の株や不動産も買いあさった。当然、ジャスコ(当時)にも、たくさんの“儲け話”が持ち込まれた。

だが、これを岡田卓也は「上げ」ととらえた。

「上げに儲けるのはおかしい。商人の本当の姿ではない。下げに儲けるのが本当の商人だ」

と、何もしなかったというほど、その誘い話に一切乗らなかった。

銀行から融資を受けないのは経営者失格とさえ言われたときに、銀行から融資を受けることも、また貸すことも辞めたのである。

このとき、この「上げに儲けるな」という家訓を貫くのは、そうたやすいことではなかったと後年述べている。