イオングループはなぜ流通日本一になれたのか。その背景には、創業者で現・名誉会長の岡田卓也の生家「岡田屋」の教えがある。『イオンを創った男』(プレジデント社)の著者である東海友和さんが解説する――。

※本稿は、東海友和『イオンを創った男』(プレジデント社)の一部を抜粋・再編集したものです。

イオンモール
撮影=プレジデント社書籍編集部

岡田屋の家訓「大黒柱に車をつけよ」の真意

イオンの前身、岡田屋には家訓として、「大黒柱に車をつけよ」がある。

大黒柱とは、伝統的な日本建築では家の中心にあり、その家を支えている特に太い柱のことである。屋台骨や要といってもいいだろう。

また、一家やチーム、組織などの主人や中心となって支える人のことを大黒柱と称することもある。

いずれにしても、大黒柱がなくなったら家であれ、チームや組織であれ、ガタガタに崩れてしまう。不動のものである。

岡田屋では、この「大黒柱に車をつけて動かせ」というのが家訓である。

おそらく、多少なりとも建築の知識がある方ならば、「それは、一度壊して、作り直すということといっしょだ」と思われるだろう。

そう、まさにそれを岡田屋では、家訓としているのだ。

本店であっても、あっさり移転を決断する

かつてこんなことがあった。先祖伝来の「辻」という土地に岡田屋呉服店はあった。

戦前、この辻は、四日市銀座と言われるほどのにぎわいで、四日市の最大の繁華街だった。が、戦後、復興がいまひとつ遅い。

一方、市役所に近い諏訪新道は、店が並びはじめ、人通りも多くなった。配給物資等の手続に市役所へ向かうための一時的なことだろうと思ってみていたが、日曜・祝日にも人通りが絶えないなど、新しい繁華街ができそうな雰囲気だった。

そこで、岡田卓也は、姉の千鶴子に相談した。

実は千鶴子も、そのように感じて、ひそかに諏訪新道の街角に立って、何日も人の流れを観察していたという。

「これは、大黒柱に車をつけよ、やで!」

ふたりの意見があった。そこで、早々に諏訪新道に店を出す準備を始めた。