田中は言う。
「本格派も軟投派もない。要は抑えることができるかどうか。それがチームの信頼を得られることになる。エースの条件と言ってもいい。僕はそれを目指した」
そのことは2021年、8年ぶりに日本球界に戻っても同じだった。楽天での成績こそ4勝7敗だったが、防御率は2.90。打たれない投球を実践することができた。
萩原氏が言う。
「投手は速い球や鋭く落ちる変化球が投げられればいいわけではない。要は点を取られずに抑えることができるか。野球は9人でやるもの。皆で守って点を取られなければ勝てる。つまり、勝てる投手が良い投手。投手の仕事は打者を抑えること」
「斎藤はプロになってからもアマチュアの選手だった」
斎藤の2021年は前年秋に判明した右肘の靱帯断裂により、ほとんど投げられず、2年連続1軍の登板なしで引退となった。もはや打者を抑える抑えられないといったレベルにも至らなかった。
斎藤は引退表明で次のように言った。
「いろいろな思い出がありますが、一番はファイターズというチームで11年間、最高の仲間とプレーできたことです」
この「最高の仲間と野球ができた」という発言は早稲田大学4年秋のリーグ優勝時にも言っている。しかしこれはプロ選手というより、アマチュア選手の発言だろう。プロであれば仲間と楽しくではなく、仲間からの信頼を得て金を稼ぐことが目的なのだから。
斎藤には己が描く投手としての美学があり、それを全うしたかった選手なのだろう。あくまで高校大学での投球イメージをプロになっても頑なに追い求めていた。投球フォームを大きく変えることはなく1軍復帰を願い続けた。一方、田中は勝つことにこだわり、肘を痛めてからは投球術を変えて泥臭く戦った。打者を抑えることに投手生命を懸けてきたから、大投手になれ、今も投手を続けられている。
そうした意味では、田中は心底プロの野球選手であり、斎藤はプロになってからもアマチュアの選手だったといっていい。そこに2人の大きな差が生まれたといえよう。
斎藤の野球人生は終わったが、人生そのものはまだまだ終わっていない。「マーくん、佑ちゃん」と呼び合う2人の人生の山登りは、そう遠くないうちに新たな展開を迎えるだろう。