先にも述べたように斎藤はこのプロデビュー年に6勝6敗。一方、田中はこの年、19勝5敗で最多勝利、最優秀防御率、最優秀投手、最多完投など、ダルビッシュを抜くパ・リーグ・ナンバーワンの投手に成長した。
2012年、斎藤は5勝8敗、防御率3.98。田中は10勝4敗、防御率1.87。滅多に点を取られず奪三振もリーグ最多、12月末の契約更改で3年12億円+出来高払いという破格の投手となった。
斎藤は言っている。
「自分と田中投手との差はとても大きい。しかし、いつかは追いつき、追い抜かしたい」
まだまだライバルだと思っていたのだ。
プロ転向の落とし穴…大学野球で培った自信が裏目に
しかし、田中は翌2013年、豪腕を振るい続け、開幕から負けなしの24連勝、楽天をパ・リーグ覇者にし、日本シリーズでは巨人を倒して球団初の日本一を成し遂げ、胴上げ投手となった。最多勝、最優秀防御率、勝率第1位など、日本プロ野球最高の投手となったのである。
一方の斎藤は年明けの1月に右肩関節唇損傷で2軍スタート、2軍でも打ち込まれ、数少ない1軍では1勝2敗と惨憺たる成績で終わった。
名将・西本幸雄氏はプロ入りした斎藤を見て「あの投げ方はあかん。右足が突っ立ち、腕も棒のようだ」と直すことを監督やコーチに伝えたとされ、広岡達朗氏も同様の指摘をしている。つまり、今の投げ方では大学では通用しても、プロでは無理。速い球を投げることができず、続ければ肩や肘も痛めるというわけだ。しかし、斎藤はコーチや広岡氏のフォーム改造のアドバイスを拒否したとされる。
「自分には大学4年間でやってきた自信があります」
それは「ハンカチ王子」のプライドであり本心。どんなときも笑顔の斎藤の本当の顔でもあっただろう。
柔軟に変化を遂げ、勝ちにこだわる田中
楽天を日本一にした田中はオフに大リーグを希望、翌2014年1月、名門ニューヨークヤンキースと総額170億円7年契約という巨額の契約金で移籍した。初登板で初勝利という順調な滑り出しで前半だけで12勝を挙げ、ニューヨーカーを熱狂させたが、7月に右肘靱帯部分断裂で治療とリハビリの日々を送り、勝ち星は1つ増えただけの13だった。
翌2015年も右肘は良くならず、打たれながらも要所を押さえて12勝7敗。その後も右肘は完治することなく、変化球を駆使して抑えるが打ち込まれることも多々あった。2020年の契約満期までに、田中は7年の大リーグ生活で通算78勝46敗。防御率3.74。本来の剛速球は影を潜めたが、さまざまな変化球を覚え、打者の心理を突く投球術で安定した成績を残した。