甲子園ではライバルであった斎藤佑樹投手と田中将大投手は、なぜこれだけ大きな差がついたのか。スポーツライターの本條強さんは「田中は心底プロの野球選手だったが、斎藤はプロになってからもアマチュアの選手だった」という――。
慈善試合の前に、笑顔で募金活動をする楽天の田中将大(左)と日本ハムの斎藤佑樹(札幌ドーム=2011年4月2日)
写真=時事通信フォト
慈善試合の前に、笑顔で募金活動をする楽天の田中将大(左)と日本ハムの斎藤佑樹(札幌ドーム=2011年4月2日)

斎藤佑樹と田中将大の大きな差が生まれたワケ

人生は登山に似ている。どんな山を登るか、それは人ぞれぞれだ。ひとつの人生の中にはいろいろな人生も含まれる。例えば野球人生といったものもある。

斎藤佑樹が野球人生を終える。甲子園の山の頂上を登り、東京六大学の山の天辺てっぺんを極めた。その後、プロ野球の高く険しい山を登ろうとしたが、3合目付近で挫折したまま、頂上を見ることなく下山することになった。

田中将大は2年夏の甲子園こそ山の頂きに立ったが、3年夏の甲子園決勝は斎藤と投げ合って惜しくも頂点を極められず、プロに入って日本一の座についた。その後、大リーグという世界最高峰に挑戦、天辺までは到達できなかったが記憶に残る投球を見せた。今年日本球界に戻ってきて、まだ山登りを続けている。

高校時代の2人はほとんど同じ山の頂にいたにもかかわらず、プロ野球での実績には大きな差が付いてしまった。お互いプロである以上、その差はプロとしての境遇と年俸で見るのが正しい。今シーズン、斎藤の年俸は推定で1250万円、日本ハムの2軍暮らしで一度も1軍のマウンドを踏めなかった。一方の田中は推定年俸9億円、楽天イーグルスの1軍で相応の働きを見せた。年俸でいえば、田中は斎藤の72人分の価値があるということになる。

これほどの差が生じたのは一体何が原因だったのだろうか。