先祖伝来の土地と「地上権」を交換
ここまでなら、単なる移転ではないか、と思うだろう。
しかし、このとき、岡田には資金がなかった。
そこで、先祖伝来の土地(これまでの店があったところ)と、諏訪新道の「地上権」とを交換したのである。
上に建てる建物に関しては自由にできるが、土地そのものを手に入れるのとは訳が違う。
この岡田の行為に対して、
「先祖伝来の土地を地上権というかたちのないものと交換した」
「地上権なんて、実際には何もないのと同じ」
幹部はもちろん、まわりの人からもたいそう非難された。姉の千鶴子ただ一人、同じ「大黒柱に車をつけよ」を理解するものとして、「お客の便利なところ、お客の必要なところへ店をもっていくのは当たり前のこと」
と、応援してくれた。
160年近くいた辻の地を離れ、諏訪新道に移転した結果、岡田屋は大きな飛躍を遂げたのは、今日を見ればわかるとおりである。
「ジャスコを捨てよ」イオングループへの転換
とはいえ、「大黒柱に車をつけよ」とは物理的な建物を動かせということではない。
その意味は、もっと深淵でかつ応用範囲が広い。
次に岡田卓也が大黒柱に車をつけたのが、ジャスコの発足といえるだろう。そして、さらにジャスコからイオンへの転換がある。
ジャスコは1969年、シロ、フタギ、岡田屋の3社の共同出資で設立した。
地域連邦制という独特の制度で、合併に次ぐ合併で大きくなっていった。小売店だけでなく、外食、コンビニエンスストア、カーライフ、クレジットサービスなど新業種、業態の開発と事業の多角化を行っていった。
ところが、1987年、岡田は「現在の事業、組織、グループのすべてを否定すること。ジャスコそのものを捨ててもよい」として、新たな事業体への生まれ変わりへと動き出す。
ジャスコが発足してまもなく20年、21世紀を10年後に迎えるという節目の年。一般に30年といわれる企業の寿命から、「ここでもう一度大黒柱に車をつけて走り出さなければならない」と1989年、ジャスコグループという名称を捨て、イオングループへと転換した。
(当初は、お客様の混乱を懸念し、中核事業であるスーパーのジャスコの名称は残し、グループ名だけの変更。2001年にジャスコもイオンと名称を変更した)
これにも社内外から大きな波紋、もちろん反対が相次いだ。
「せっかくここまでお客様になじんでいただいたグループ名を変えるなどもってのほか」というわけである。日本だけでなく、東南アジアの店舗からも変えないでほしいといった陳情が相次いだという。