沈黙は「手段」から「目的」に変わった
安倍絶頂期の総務会で異論を唱えるのは、石破のほかに元行革相の村上誠一郎や参院議員・木村義雄が目立つ程度だ。集団的自衛権を議論していた14年夏ごろまでは「おっしゃる通りだ」と村上の事務所をこっそり訪ねる議員もいたが、その後、いなくなった。村上は「後ろを向いたら誰もついてきていない」と嘆いた。
むしろ政権復帰した12年の衆院選以降に初当選した若手は「沈黙する自民党」しか知らない。15年秋の党総裁選に意欲を示した野田聖子の推薦人になろうとした議員が切り崩され、安倍の「無投票再選」に終わった。ある若手は「先輩が黙るなら、私たちはなおさら。何か言ったら自分がおしまい」と語った。
沈黙は、野党転落の教訓や党内対立で自滅した民主党を反面教師にした政権維持の「手段」だったが、1強のもとで「目的」に変わった。当時、党内状況に危機感を募らせていた衆院議員・小泉進次郎は、初当選後に野党になった経験から、こう警鐘を鳴らしていた。
「上が決めたことを何も考えずに受け入れる空気が漂っている。なし崩し的に物事が進むことに不感症になったら、党はぶっ壊れる」
しかし、その小泉も、安倍内閣に入閣した後は、批判を封印した。