石破茂が閣外に去り、「安倍1強」は完成した

安倍の無投票再選が決まった後も、石破は閣内に残る。次期総裁選に向けてフリーハンドを得るために閣外に去るべきだとの側近の意見もあったが、石破は総主流派体制の下での「孤立」を恐れ、閣内残留を選んだ。ただ、次を見据えて、「政権をめざしたい」と石破派を立ち上げた。

一方、党内基盤を固めた安倍は、悲願の憲法改正に向けて照準を16年7月の参院選に合わせ、自民はまたも大勝した。

自民、公明に加えて、安倍政権下での改憲に前向きなおおさか維新の会や無所属議員を加えた「改憲勢力」で、改憲に必要な3分の2を確保した。さらに、自民は平成最初の参院選だった1989年に失った単独過半数を、平成最後の16年参院選を経て、27年ぶりに回復した。国政選挙4連勝で「選挙の顔」としての安倍の評価はさらに高まった。

安倍が絶頂期を迎える中、石破は16年8月の内閣改造で閣外に出て「無役」となる。幹事長、閣僚として支えた安倍政権から、石破が去ることで「安倍1強」は完成した。

「モリカケ問題」で見え始めたかげり

政敵を外に追いやった安倍は、自転車事故でケガをした谷垣禎一に代わり、二階俊博を幹事長にした。「百戦錬磨、自民党で最も政治的技術をもった方」と持ち上げ、二階は呼応するように、自民党総裁3選に向けて党則改正にいち早く言及し、「任期がまだまだある、というゆとりがあってもいいんじゃないか」と議論をリードした。

権限行使に慎重だった谷垣から、躊躇なく権力をふるう二階に幹事長が代わり、安倍の1強体制はさらに強固になった。17年3月には総裁連続3選を可能にするよう党則が改正された。安倍は同年5月、悲願の憲法改正に向けて、9条に自衛隊を明記する案を提案。党内からは支持の声が相次いだ。

しかし、その勢いにかげりが見え始める。「満月」はいつまでも続くわけではない。

夜の国会議事堂
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1強が完成した直後に「強すぎる首相官邸」の弊害が次々と噴出する。17年2月には、森友学園への国有地売却をめぐる問題が表面化。安倍は国会で「私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」とたんかを切った。

同年5月には、「腹心の友」と評する自らの友人が理事長を務める加計学園の獣医学部新設も政治問題化した。安倍は「私が友人である加計さんのために便宜をはかったという前提で恣意的な議論だ」と全面否定。官房長官だった菅義偉は「総理のご意向」と書かれた文書を「怪文書のようなもの」と言い放った。