支持率が下がっても、しばらくすると戻る

こうした出来事は「選挙の安倍」の看板を傷つけた。17年7月の東京都議選では、都知事の小池百合子率いる都民ファーストの会の躍進で、自民党は歴史的惨敗を喫した。安倍が「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と発言したことも批判を浴び、支持率は急落した。

ただ、選挙で落ちた支持率を再び上昇させたのも選挙だった。安倍は北朝鮮からのミサイルが発射される中、衆院を解散した。小池による野党再編の失敗劇も重なり、自民は再び圧勝。支持率とともに党内でも「選挙の顔」としての神通力を取り戻した。

しかし、その後も、長期政権のうみは次々に噴出し、森友学園をめぐる公文書改ざんの問題も発生した。石破は安倍の対応を批判したが、自民党はかつての活力を失っていた。

小泉進次郎が「平成の政治史に残る大きな事件」と政権に批判的な発言をしたり、元行革相の村上誠一郎が党総務会で声を上げたりしたが、それ以上の追随はなく、石破に同調する声は広がらなかった。問題が発生するたびに、支持率が下がるものの、しばらくするとまた戻っていった。

かつての自民党には一言居士がそろっていた

石破は2016年秋、旧中曽根派の先輩議員だった元農林水産相・島村宜伸とパーティーで再会する。島村は「あの時言った通りになったろ」と言った。あの時とは、衆院に小選挙区制を導入するかをめぐる党内対立が激しかった1990年代のこと。島村は反対派の急先鋒で、「党に権力が集中して、みんな言うことを聞くやつばかりになるぞ。物言わぬ政党になり、つまらない議員が増える」と予言していた。

当時、小選挙区制導入の旗を振った石破だが、「誠に申し訳ございません。こうなるとは思いませんでした」と島村に頭を下げるほかなかった。

島村は小泉内閣で郵政解散の署名を拒否して農水相を罷免された。かつての自民党には、島村のほかにも梶山静六、粕谷茂、亀井静香、河野洋平が橋本政権の総務会で執行部批判を繰り広げ、一言居士がそろっていた。