「移民受け入れ」はあまりにも無知なアイデア
世界の人口減少に対して、専門家の一部には「移民を受け入れるしかない」といった“迷解決策”を唱える人がいるが、これはあまりにも無知なアイデアだ。
1つの国の単位として考えるならば、移民や外国人労働者を受け入れることで辻褄合わせもできよう。人手不足は解消されるし、マーケットの目減りも穴埋めできる。外国への販路を拡大強化したならば、当座の経済成長を維持することも可能だ。しかしながら、世界規模で少子高齢化が進み、人口減少が進んでいくのである。「世界」という器のサイズが縮む以上、移民などに頼る手法はどこかで限界が訪れる。世界人口の減少には、「逃げ場」はない。
打つ手がない以上、人口は減り始めると加速的に進行していく。少子高齢化が世界で最も深刻な日本を見れば、その恐ろしさが分かる。日本の場合、合計特殊出生率が1975年に1.91となって「2」台を下回って以来、ずっと「1」台が続いている。
日本人はすでに“絶滅危惧種”になっている
合計特殊出生率は1.99であっても1.00であっても父親と母親という2人の人間から子どもが1人しか生まれていないという意味では同じである。ひと世代替わるたびに人口が半減するということだ。折り紙を半分ずつにたたんでいくことを想像すれば分かりやすい。何度か折りたたんでいくうちに、その表面積は極めて小さくなってしまう。1.99のほうが、1.00よりも紙が半分に折られるスピードがゆっくりということである。
日本の人口の縮小の速さを、社人研の「人口統計資料集」(2021年)が出生率、死亡率一定という条件下で機械的な推計を試みているが、日本人はわずか200年後の2220年に1026万8000人となる。現在の東京都の人口よりも少ない水準だ。300年後の2320年には275万1000人にまで減る。これは現在の大阪市とほぼ同じ人数だ。ここまでくると、国家として機能するのか怪しくなる。
その後もどんどん縮んでいき、2900年には1000人、3000年にはついにゼロ人となる。ここまでにならなくとも、日本語を後世に残すことが難しくなろう。それは、日本が世界史から消えるのと同じだ。日本人はすでに“絶滅危惧種”となっているのである。