どん底を知っている経営者は強い
秘密の鍵は見つかっていない――。そう思いながらも、代表監督を引き受けることにした。頭で考えるととても引き受ける気にならないのだが、心が動いて仕方がなかったというのが正直なところだ。
引き継いだとき、時間はなかった。年が明けてすぐにアジア3次予選が始まろうとしていた。3次予選は4チーム中2チームが最終予選に進むことができる。日本代表の力を考えれば、監督は何もしなくても3次予選は突破するだろうと楽観視していた。だから、前監督のオシム氏が選んだメンバーをそのまま、ほとんど変えずに予選に臨んだのだ。
ところが――。
初戦のタイ代表には4対1と勝ったものの、続くバーレーン戦で敗戦。4チーム中2チームが最終予選に進出できるとはいえ、バーレーンは勝たなくてはならない相手だった。
どうして勝てなかったのか。何より自分自身が腹を括っていないことに気がついていた。秘密の鍵が見つかっていないというのは、言い訳にすぎない。他人に批判されてもいい。自分が信じるサッカーをやればいいのだ。バーレーン戦の敗戦で私は開き直った。その後、一試合の引き分け以外はすべて勝利。3次予選リーグを首位で突破、最終予選でも開催国を除いて世界で最初にワールドカップ出場権を得ることができた。
筑波大学名誉教授の村上和雄先生がよく遺伝子にスイッチが入るという話を書かれている。
我々は、氷河期の饑餓を生き延びてきたという強い遺伝子を持っている。ところが、便利で安全、快適な社会にいると遺伝子にスイッチが入らない。どん底になったり、強烈な感動をしたときにスイッチが入ると思う。だから、倒産、闘病、投獄、戦争など、どん底を知っている経営者は強いのだろう。
代表監督のプレッシャーは半端ではない。前回監督を務めたときは、散々だった。私の息子は、テレビを見ているとあまりに父親がひどく言われるので泣いたこともあったほどだ。私の自宅の前には、パトカーが常駐し、厳重に警備された。
投獄、戦争と比べれば大したことはないだろう。それでも私の中の遺伝子のスイッチが入ったのかもしれない。
不思議なもので、こうして、苦しんで、苦しんで、必死になっていると、秘密の鍵が見えてきたのだ。