今となっても、冷静に考えていれば、日本代表監督は受けなかったと思う。
2007年年末、私はイビチャ・オシム氏の後を受けて、日本代表監督を引き受けた。このとき、私は指導者としての資質を自問している時期だった。
私は、03年から06年まで横浜F・マリノスの監督を務めていた。端から見れば悪くない成績だったと思う。就任1年目からリーグ優勝することができたのだ。ところが、私は全く満足していなかった。
私は指導者として、選手に理論を伝え、納得させることは得意だと思っている。
例えば――。
サッカーでは、ゴールまで直線距離でボールを運ぶことが一番効率がいい。ところが、当然相手は、そうさせないようにその部分の守備を固めてくる。
また、人のいないスペースの使い方も重要だ。相手は中央を守っているので、両サイドにボールを運ぶ。当然、相手のディフェンスはそちらをケアするために広がり、ゴール前にスペースができる。
だから、「外から攻めろ」という指示を出すのだ。自分でドリブルして目の前の相手を抜いて中に行きたいという選手も、私の指示が聞こえているので、仕方がなく外に出す。すると、ゴールに繋がる。これは確率の問題だ。
それが続くとどうなるか――。選手はボールを持った瞬間、中を見ずに自動的に外に出すようになってしまったのだ。これでは本末転倒である。
確かに、優勝という結果は残った。しかし、本来サッカーとは、ピッチの中の選手が考え、判断するスポーツである。そうした個を持った選手でなければ、世界で戦うことができない。確率論を選手に教えることが本当の指導者なのか。このサッカーを続けて、本物のサッカー選手を育てることができるのか。
2年目、私は選手に「俺は何も言わない。自由にやってみろ」とあえて指示を出さないことにした。すると、開幕4連敗。再び、私は細かく指示を出すことにした。3、4年目は試行錯誤したものの、思ったようなサッカーにならず結果も残らなかった。そして4年目の途中に監督を辞任した。
人を育てながら勝つには秘密の鍵があるに違いない。その鍵を見つけなければ、私は指導者として上に行くことはできないだろう。そう思った。
私は、監督を辞めた後、様々な勉強会に顔を出した。稲盛和夫さんの「盛和塾」もその一つだった。1日で3つの勉強会を掛け持ちしたこともあった。それぞれ勉強になったことは少なくない。ただ、秘密の鍵を見つけることはできなかった。
日本代表監督の要請はそんな時期だったのだ。