日本でも子供たちに親しまれてきた『ちびくろサンボ』という絵本が、当事者の黒人の声によって絶版になったことがあります。その際にも「差別の意図はないのに騒ぎ過ぎ」という日本人の意見がありました。

しかし「長年親しまれてきたこと」であっても、その絵本や遊びに出てくる当事者が「嫌な気持ちにさせられる」と声を上げたら、パブロフの犬のように「差別の意図はなかった」と即反論を試みるのではなく、声を上げた人の意見を真摯しんしに受け止める必要があるのではないでしょうか。

「貴女の肌の色のファンデーションはありません」

黒人女性が「自分の肌の色を活かした化粧をしたい」と思っても、それがままならないこともあります。

筆者が以前あるイベントで知り合った、黒人と日本人のハーフの女性モデルさんの事例です。彼女は「東京でファッションショーに出演した際に、メイクさんが黒人の肌の色のファンデーションやパウダーを用意していなかった」と語っていました。

※画像はイメージです(画像=iStock.com/HstrongART)

「美のプロ」が集まっている場でさえ、自分の肌の色に合う化粧品が用意されていない。そして消費者の絶対数が少ないとはいえ、自分の肌に合う商品が店頭に並んでいない。当然、当事者は疎外感を味わうことになります。

「肌色」という言葉に関してもしかりです。「肌色」という言葉について、「差別の意図はない」と考える人は少なくありません。でも「肌色」という言葉を使う人が「黒人の肌」を思い浮かべていることはまれなのです。

いま日本にはアフリカにルーツを持つ人を含めさまざまな肌の色の人が住んでいます。たとえ言葉狩りだという批判があっても、「肌の色は一つでない」ということを自分の中で日々意識していることが大事です。

それと同時に差別全般に「敏感になる」ことも必要だと思います。

まずは「東洋人差別」に敏感になろう

とはいえ日本では人種差別に鈍感な人が少なくありません。その背景には「自身が差別されることにも鈍感」であることが関係している気がしてなりません。

たとえば東洋人がマイノリティーである国では、「東洋人の目の形を揶揄やゆするジェスチャーをされる」という差別に遭遇することがあります。目尻を指で横に引っ張る「つり目ポーズ」がその典型です。

今年6月1日にイタリアで開催された、国際バレーボール連盟(FIVB)女子バレーボール・ネーションズリーグの試合で、セルビア代表のサンヤ・ジュルジェヴィッチ選手が対戦相手のタイ人選手にこのポーズをし問題化。CNNの報道によると、FIVBの関連団体はサンヤ・ジュルジェヴィッチ選手に出場停止2試合の処分を下し、セルビアのバレーボール連盟に米ドル換算で2万2000ドル(約240万円)相当の罰金を科しました。